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東大体操部部員日記

東大体操部の部員による日記です。

それってキセキ

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こんにちは。
4年生改め3年生の塚田です。

引退してから5ヶ月が経ちました。
お肉は柔らかく足首はより硬くなり月日は順当に流れているようですが、現役の頃よりは時の流れを遅く感じている気がします。

とうとう先輩が引退ブログを書いてくれて、私もみんなも嬉しいです。
駿太さんの引退ブログですが、私はこっちも好きです。
春部報の印刷までに引退ブログを書かないとこういうことになるらしいっていうことがよくわかる1本ですね。
私が2番手の役目を果たせず流れを停滞させてしまったせいで、ここからは、引退ブログの更新頻度が増えるか、引退ブログの数が増えるかのどっちかです。

はじめに

昨年の9月4日の七大戦をもって、東大体操部を引退しました。
先輩方、後輩方、福田さん、他にもこれまで関わってくださった多くの方々、長い間大変お世話になりました。

体操について、部活について、人間について、人生について、人とミルクの一万年について、考えたことを自由に書かせてもらおうともいます。
念の為申し上げておくと、9633文字あります。
1万字を超えると長いと言われるそうなので、まだギリ短いってことになると思うんですけど、なんか改めて全文を読んでみたら読みにくいしちょっと長いかもしれません!😢
お付き合いください

やっぱり文章が冗長になる癖は最後まで治らなそうです。
そういえば去年書いたブログでこんなことを言っていたのを思い出しました。

(回想)

残りのブログ回数も少なくなってきたことですのでね、引退までに達成したいブログの目標を立ててみましたこちらです。

①これまでに下書きして結局投稿してなかった文章を発表する。
②あんまりネガティブなことを書かない。
③えりもみさきとかリヴァイアサンとか唐突に頭に浮かんだ言葉を書き残していく。
④五七五で書く。


なにを言ってるんですか、ほんとに。
多分試合前でハイになってたんですね。まあ楽しそうで何よりです。

えりもみさきって本当に時々頭に浮かんでくるんですが、どこにあるんだかも知りません。(地理弱ですみません)
なぜ浮かんでくるんでしょう。前世ではえりもみさきに住んでたんでしょうか。
生きてるうちにえりもみさきに行くことを目標にするので、どうか目標③は葬らせてください。
④は私の力量では無理だったので誰か物好きな人に託します。

_________________________

トピックが多いので見出しをつけます。

-1. 最近のこと
0. 引退試合の感想
1. 部活
2. 怪我
3. 体操

-1. 最近のこと

(体操)
引退したらキッパリ体操はやめたいと思っていたのですが、やりたいことを色々と残してしまったので今も時々トレタイ(概念)にお邪魔しています。

段違いで永遠に車輪をしています。車輪はあまり好きじゃありません。かれこれ5ヶ月ずっと車輪の練習ばっかりしていますが一向に上手くなりません。
でも目標達成のために必要なことなので気長に頑張ります。

いつかツイストをするのと、振りとびを一人で倒立にはめるのが野望です。振りとびがハマったらもう引退してもいいです。

(大学)
いい知らせと悪い知らせ
いい知らせは、卒業までの残り必要単位が実質ゼロだということです。

うちの学科は単位数に含められる科目の範囲が広いので、教職科目を大量に履修してきたのがかなり効いてます。あとは卒業研究さえちゃんとすれば卒業できます。ありがとう、ありがとう👋

悪い知らせは、教員免許のために取らなきゃいけない数学専門科目の残り必要単位が、最低でも10、最大で18単位だということです。
(幅があるのは、今セメスターで履修していた8単位ぶんが来てるかまだわからないからです。)

前のセメスターで6単位落としたのがかなり効いてます。veryまずいです。
卒業までに取りきるめどが立たないと、院進以外の選択肢が完全に消えます。
単位!おいで!

研究スタート
大学の研究室での活動が10月から本格始動しました。研究楽しいです。ついこの間ポスター発表もあって、発表も楽しかったです。

あと、とにかく人があったかいです。
研究室の自己紹介で干し柿が好きですと言ったら、先生が部屋で干し柿を作ってくれました。優しみが深いです。
みんなで高尾山にムササビを見に行ったときに、寒い寒いと走り回っていたら先輩がカイロをくれました。あたたかみが深いです。

同期が一人もいないのが少し寂しいです。
認知の研究室って4つあるんですが、私の学年は1・1・2・4に散らばりました。
4年生からは一つの研究室の定員が3人になるらしいので、4人のところから誰かうちの研究室に越してきてくれるように、こないだめっちゃポジティブキャンペーンしました。

(教職)
とうとう今年は教育実習です。9月の1日から3週間。
先日、事前準備として東大附属中学高等学校の授業見学にも行ってきて、非常に学ぶことが多かったです。

あと、中学校免許を取る場合に参加必須の介護等体験実習というのも来年度のどこかで入ってきます。

こんなハードスケジュールの中部活のラストイヤーとかやってる人がいることがほんとに信じられないです(泣)
どうか体に気をつけてください。

(留学)
あとは、今日から留学に行きます。オーストラリアのアデレードです。
正直、アデレードいう都市があることを今回聞くまで知りませんでした。(地理弱ですみません)

むこうは夏なので、母が空港まで一緒に来てダウンコートを持ち帰ってくれるらしいです。
父は私に会うために仕事を早退してきてくれるそうです。
優しいご両親で幸せです。

近況報告、は以上です。

0. 七大戦の感想

10年競技をやってきて、一番いい演技ができた大会でした。

挑戦できなかった技がたくさんあるし、完成度としてはいまいちな点もたくさんあります。
それでもこういうふうに思えるということは、きっと体操部での4年間 ー競技という側面だけでなく、選手というステータスを通じてみんなと繋がっていた時間ー が幸福だったんだと思います。

昔からずっと感じていた、競技人生が数10秒に集約されてしまう怖さみたいなものも、演技中はみんなに見守られている安心感でかき消され、驚くほど穏やかな気持ちで演技ができました。

周囲のサポートに心から感謝しています。
競技人生の終わりに最高の舞台を用意してくださって、ありがとうございました。

1. 体操

__体操の顔__

競技歴は中学校からの10年間ですが、小学生の頃も体操教室に通っていたので、これまで体操と関わってきた期間は16年ほどでした。
その中で、体操との向き合い方が自分の中で4つの軸に分かれていったことを感じています。

競技として、表現として、研究として、娯楽として、の4つです。

競技としての体操は、勝つことや結果を出すことを目標としながら、より本質的には努力と結果の結びつきを楽しむもの。

研究としての体操は、特定の技に対して、どうやったらできるようになるか、どんな捌き方が美しいかを分析・試行・反省する繰り返し。

表現としての体操は、自分が表現したい何かを体操という行為を通じて人に見せることのよろこび。

娯楽としての体操は、体操という動きそのものを楽しむ心意気。

私の体操人生では、いろんな顔をした体操が、現れては姿を消して、時には融合しながら、確実に私を体操の世界に引き込んでいきました。

(娯楽の章)
小中学生の頃は娯楽として楽しんでいたんでしょうが、いつしかそういう気持ちは感じなくなっていた気がします。

大学に入ってから一度だけそれを感じたのは、広さんと一緒にミニトラで宙返りの練習をした時です。
もっとこう!それは違う!とか言われながら、ただとんで回って着地する動作がおかしいくらい楽しくて、この瞬間のために体操を続けたのかもしれないと錯覚するほどでした。とても印象的です。

(競技の章)
私は元来負けず嫌いなので、高校に上がって技が一通りできるようになってからは、競技としての側面を強く感じていたと思います。
とにかく点数を上げること、他の人に負けないこと。そして何より、他の人より努力することがモチベーションで、体操ノートは目標の構成と練習計画、点数の計算でいっぱいでした。

朝は筋トレと宙返りの練習、昼は鏡と睨めっこしながら動きの練習、家でも暇さえあれば倒立、放課後は1時間程度しか器具練ができないので、帰りのホームルームが長引くとイライラして机を蹴飛ばしそうになってました。(蹴飛ばしてないヨ)

かくして傍若無人を極めながら体操に傾倒していると、勝ちたい、強くなりたいという欲求をある程度満たせるようになっていきました。

ただ、その頃の私は自分の演技がどうしようもなく嫌いでした。

憧れの先輩や推し選手がいて、こんなふうな演技がしたい!って思ってたくさん真似しましたが、どうしても理想に近づけない虚しさみたいなものでいつも追い詰められていました。
そしてそれはきっといつまで経っても私を苦しめるのだろうと思っていたので、大学では体操はやめようと思っていました。

(表現の章)
大学生になった私は、なぜか体操部に入っていました。世も末だと思いました。(嘘です。そんなことも思わないくらい脳死で入ってました。)

ところが、そこには思いがけず、私の体操を綺麗だと言ってくれる人たちがいました。

そんなことは思ったことも言われたこともなかったので驚きましたが、
なんとなくそこで、今までやってきたことって意外とちゃんと自分のものになってるんだと思えて、非常に救われた気がしました。

そして同時に、いつか私が誰かの演技を見て感動したように、私の体操を一つの表現として見て、もしかしたらそれに感動してくれる人がいるかもしれない、と気づきました。否、そう思うことにしました。

そう思って周りを見ると、体操のスタイルは人それぞれ実に多様でした。
そこで初めて、自分がそれまで、表現の仕方という点である程度画一化された世界にいたこと、そして自分を含め身近な人の体操を一つの表現として見てこなかったことに気づきました。

体操は、同じものを違うように見せられる。
周りの人が「さっこの体操」と言ってくれるように、「〇〇の体操」が人の数だけあって、一つ一つが全く違う。
私はそれが、とても素敵なことだと思いました。

その頃から、体操を表現として楽しむようになっていきました。
勝たなくてもいい、理想の人になれなくても、自分にしかできない見せ方を見つければいい。
そう思うと、今まで感じてきた焦燥感や虚しさがいくらか軽くなりました。

「ナンバーワンにならなくてもいい 元々特別なオンリーワン」
これは魔法の呪文です。この段階でこの考え方を体操に適用できたことが、それから選手として体操を続けていく上で大きな支えになっていたと思います。

あの時、私の体操をきれいだと言ってくれた、私にはもったいない二つ名を付けてくれた先輩たちのおかげで、それからの3年間、常に胸の奥底で蠢く劣等感と自己嫌悪と同居しながらも、決して挫けず、強く在ることができました。
だから、ジャージに刻まれたニックネームは、私が振りかざせる誇り高き矛なんかではなく、黒い感情と常にともにあった血みどろの盾です。

決して綺麗ではないものを綺麗に見せようとしてきたのが、3年間、選手として、部員として、女子主将として、ここにあり続けてきた私です。

それなのに、不思議なものですね。
私はこうして、自己防衛的に表現としての体操に活路を見出していたのだと思っていましたが、副産物的なものでしょうか、
いつしか、自分の演技が嫌いだとは思わなくなっていました。

(研究の章)
引退してからは、研究者になりました。
自分が魅力的だと思った技に一直線に走っていけるのはとても、、とても、なんでしょうね。言葉にできないです。強いて言うなら、ありがたいです。

この時を待っていた、という感じではありますが、
試合に出てる人を見るとやっぱり羨ましくなるくらいには、競技としての体操にも心酔してることに気づいています。

体操を表現として楽しむ姿勢は、自分が続けたい、というよりはいろんな人に知ってほしいという気持ちが大きいです。
とりわけ、この人を最高に素敵に見せる技や動きってなんだろう、なんてことをおせっかいにも考えるのが好きです。

やっぱり私は、自分を最大限に輝かせてる人の体操を見るのが大好きなんですよね。
プテラノドンでもなんでも、自分が最高にかっこいいと思って体操をしている姿を見たいです。その体操は絶対に、かっこいいです。

__試合__

蛇足ですが、試合に対する思い(大学時代)も綴っておこうと思います。

(大学時代、としたのは、高校時代の私はずいぶん今と違うやり方で試合と向き合ってきたからです。
端的に言えば、「試合前の練習を邪魔する奴は誰であろうと許さない(メラメラ)」って感じでしたが、詳しく話すと長くなりますし恥ずかしいのでやめにします)

皆さんは、試合、好きですか。

私は好きです。
何ヶ月、何年という努力が集約され、いろんな人の思いが会場の一点に満ちる、あの数10秒間の密度。その緊張感。非常にaddictiveでやみつきになります。

変態じみたことを申しましたが、
こうした試合の独特な雰囲気に対する憧憬が、長い競技生活の中でモチベーションの浮き沈みがありながらも、試合に対してはある程度前向きな姿勢を維持してこられた所以であると思っています。

そして、私が大好きだったその空間、あの唯一無二の空気を持った場所を作ってくれたのは、
練習を頑張ってきた私とかじゃなく(まあそれも10%くらいは寄与してるかもしれませんが)、
紛れもなく、応援してくれる人たちでした。

これまで試合を見にきてくださった方々。誰より大きい声を出して応援してくれた同期・先輩・後輩。
私に試合を好きだと思わせてくれたことに心から感謝しています。

__相棒__

なんかこうやって書いてみると、ずっと体操に夢中で頑張ってたみたいに見えますが、
なんてことはない、体操をしている自分に絶望していなかった期間なんて大学時代の半分もありません。

選手でいる意味を感じなくなったのは2年生の終わり頃からだと思います。
怪我が増え、思うように成長できなくなり、
また、それが仕方ないことだと言えるほどの努力もしていないことが何より選手としての自分を苦しめました。

そんな期間が長く続いて、体操をやめようと思ったことは大学に入ってから何度もありましたが、
それでも最後まで続けられたのは同期の智香子の存在が大きいです。

入部してからしばらくは女子2人の期間が続きましたが、智香子を体操上のライバルと思っていたかはもう忘れました。
おそらくそういう感情はどこかしらあったと思います。
ただ、あまりにも体操のスタイルが違ったので、競い合うというよりはお互いに足りない部分を教え合う関係に自然となっていき、とてもありがたい環境にいると感じていました。

智香子と私は、大学入学時の体操経歴が少し似ていました。
高校まで体操を続けてきて、なんとなくもう満足してる部分もあり、大学で体操部に入る気はなかったが入部していた、という心持ちも同じような感じでした。(私の記憶違いでなければ)

初期値がそんな感じだったので、何かしら弊害が顔を覗かせれば、「体操もういいかな」という気持ちにもなりました。
「正直、今すぐ体操やめろと言われれば別にやめてもいいよねー」みたいな話もしたし、
初心者の百花と凜が入ってきた時には、「体操楽しい!ってかんじでキラキラしてていいよね〜」と2人で羨んだこともありました。

こんな感じで、かなり自分と近い目線で体操と向き合っている人が入部してからずっと隣にいてくれて、
体操やめようかなと思う度に、「まあ智香子いるし、やるかぁ」って感じで結局最後まで来ました。

智香子へのラブレターみたいになりましたが、ただの思い出話です。

「体操」の章、おしまい。

2. 怪我

私の体の各部位も引退までよく頑張ってくれたと思うので、その活躍を記しておこうと思います。

これまでの負傷の歴史、怪我と塚田の一万年です。

中1 なし(すごい)
中2 左手中指、右手親指
中3 右肘、腰
高1 右肘、左膝
高2 右肘、右膝
高3 なし
あ、コロナの時家の外でトレーニングしてたら縁石にくるぶしを強打して数日間歩けなくなりました(バカです)
大1 なし(すごい)
大2 右肘、左手首、右足首、左足首(詰)
大3 右肘、左足首(詰)
大4 首、顎、右肩、左足首(詰)

だんだん怪我の部位が下に降りてきてる感じと、だんだん体幹部に迫ってる感じが面白い(interesting)ですね。
左足首は最後までよく頑張ってくれたと思います。右肘にも苦労をかけました。

大学で体操をやめようと思っていた理由のもう一つは、高校までの怪我の記憶がかなり辛いものだったからです。

特にしんどかったのは、高校2年生の最後の合宿で、1日目に肘をダメにして全く練習ができなかったことです。
部長として統率の責務があったので帰ることも落ち込むこともできず、苦い経験になりました。
文化祭の演技発表会の前に肘をダメにして、団体演技で予定していた技ができなくなり、周りに大迷惑をかけてしまったこともかなりこたえました。

練習を頑張っている時ほど怪我をしやすく、不条理だと泣き喚きました。
怪我をするのはもう当たり前のことで、
どこか痛めるたびに、ああまたか、、と思ったし、周りにもまたかと言われ、それがさらに自分を鬱にさせました。

大学で体操を続けたところで、どうせ怪我をして満足に練習ができずにしんどい思いをするだけだろうし、きっと引退試合も直前に怪我をして出られないんだろうとよく考えては怖がっていました。

しかし、大学生になると気持ちに変化が現れました。
怪我をした時に、悔しいとか悲しいとかいう感情が湧かなくなったのです。
ああまたか、、が、おっけーまたね、になりました。

怪我をするのはわかってるんだからわかりきったことで落ち込まないようにしようと思い、怪我をした時に悲しくならないように、目標や計画はあまり立てなくなりました。
高校時代のような熱意はなくなり空虚感はあったものの、代わりに感情は安定するようになりました。

こうして、自分が健康に体操をしたいということはあまり願わなくなったのですが、
その変化をどう受け取ったらいいのかわからなかったし、頑張っても上手くならないかもしれないという怖さからくる言い訳のようにも思えました。

一方で、部活の仲間、特に後輩に同じ思いをしてほしくないという感情は高校生の頃からずっと感じ続けてきて、周囲の怪我に対してはすごく敏感になりました。

こんな感じで、自分でも理解しきれない感情を抱いたままいつもどこか諦めながら体操をしていて、引退試合に五体満足で出られるなんてことはあまり期待していませんでした。
なので、実際1週間前に顎を粉砕しかけましたが、どうにか4種目演技ができて、明日あたり自分の身に何か起こるんじゃないかと思いました。
無宗教ですが、神様にお礼を申し上げたいです。

怪我は悪だ、怪我をするくらいなら練習しないほうが上手くなれる、と本気で思っていましたが、
起きてしまった事象に対して否定ばかりしていると救いようがないので、いいところも見つけました。

あの時あの怪我をしなかったら気づかなかった・得られなかったことがあるという感覚です。

その筆頭が、高校生の時の膝の怪我ですね。
逆捻りを正捻りに直そうとしていた時にぐりっとやっちゃって、しばらく宙返りの練習はできなくなったので失意だったんですが、
その時期に飽きるほど倒立ばっかりやっていたら、倒立はめっちゃ得意になりました。
体育館の端から端まで倒立で歩けるようになったし、最初は全然できなかった片手軸の捻りも気づいたらできるようになってました。

あとはそうですね。自分が怪我をする人間じゃなかったら得ようとしていなかった知識もたくさんあると思います。

そんなわけで、競技人生を通じて怪我には苦しめられてきましたが、
マイナスに感じたこともプラスに捉え直すという思考を与えてくれた、体操人生の重要な要素だったと思っています。

人生に無駄なことなどない、らしいので。

3. 部活

某同級生の先輩がおっしゃっていたように、体操と部活は、切り離せはしませんがやはり独立した流れを持っていると思います。

体操が楽しくなくても部活に来るのは好き、という人がいるのと同じように、体操は楽しいけど部活って考えると鬱、みたいな人もいておかしくないでしょう。

__部活を辞めようとしてみる__

そもそも私は、2年生の終わり頃に部活を辞めるはずでした。
人間関係にも絶望していたし、体操も足首の詰めが慢性化して全くうまくいきませんでした。体操も楽しくないし部活も楽しくない、のダブルコンボです。

ところが当時の主将に相談したら、
「訳あって、辞めるならもうちょっと後にしてもらえると助かるんだけど、、」
と言われ、結局GOサインが出ないままとうとう私は引退してしまいました。
巧妙な手口です。
というのは冗談で、実際この時期は、平井さん、駿太さんの2人に大いに支えられました。2人が1つ上の先輩で良かったし、ただすけが1つ上の先輩じゃなくて良かったです。

__いろんなことにキレてみる__

2年生から3年生くらいの私は非常に多感なお年頃で、口癖は「許せない」でした(苦笑)

部活ってこういうものだとか、部活の一員ならこうあるべきみたいな信念があったんだと思いますが、なんかそれ以前に人としておかしいみたいなことをよく言っていました。
そして、それをわりと本人に向かって言い放ったりもしてたので、実に人当たりの悪い人間だったかもしれません。
お付き合いいただいた方々、その節はありがとうございました。

多くの人は、友人との衝突とか、自己と他者の違いに気づく、みたいなことを中学生や高校生で経験するのかもしれませんが、いかに自分がそういうことを避けてきたかに気付かされる期間でした。

自分と全然違う考え方や生き方に戸惑い、衝突も経験する中で、
ある程度心穏やかでいるためには自分の中での他者に対する考え方を大きく変えなければならない、と思ったのでしょうか。
いつからか自然と、部活の仲間を部員としてだけでなく一人の人として見るようになりました。

すると大抵のことは、へええ、こういう考え方の人がいるんだ。私は絶対しないが、だからこそ見てて面白いな。と感じるようになって、
最終的にはおばあちゃんみたいに平穏なマインドになりました。(表面的にはね^_-☆)

こうして、人間に対する見方にもパラダイムシフトが起きた4年間になりました。

__同期仲(笑)__

簡潔に言いようもないものを強いて簡潔に言うとすれば、問題が増えるほど同期仲深まってわろたっていう感じです。

月1だったはずが徐々に間隔狭まってくMeeting! 明け方3時半まで続くMeeting! 智香子はSleeping!
突然険悪なムードになるMomoka&Kaichi! 仲裁に入るTadasuke! なんか急にいいこと言うRin! ChikakoはSleeping!

もう揉めてる場合じゃねえみたいな。
ものすごく綺麗にまとめていいなら、一緒に過ごす時間って少なからず心的距離を近づけるんだなと思いました。

我々が同期で引退旅行ですよ??
おもしろくて涙が出そうです。別に感動して泣いてるわけじゃないですよ!
ただ同期まじ大好きです。ありがとう。

__まとめようのないものをまとめようとしてみる__

東大体操部は、こんなふうに一言でまとめてはあまりにもお粗末ですが、人ってそれぞれこんなに違うんだっていうのを肌で実感した場所でした。

「違う」って、自分目線で考えるとどうしてもマイナスなワードになってしまいがちですが、誰もが誰もにとって違う存在なんだって思うと、私って一(いち)なのかって思います。(全と一の一です。伝わらなかったらすみません。)
あれ、私って中心じゃなかった?じゃあどこが中心?いや、中心なんてなくて、みんなただの一なのか。
そうだとしたら、個々がそれぞれ違う一の集まりはとても綺麗で愛おしい存在だと感じます。

たぶん誰にも伝わってない気がするので、宣言通りまとまりのないまとめになりました。

_________________________

おわりに

以上で塚田の懐古は終わりになります。最後まで読んでいただきありがとうございました。

なんだかあまりにも正直に自分が感じてきたことを書いてしまいましたが、この文章はいったい読み手にどんなふうに受け取られるんでしょう。

体操に限らずこれまでの人生の中で、
多分本人は深く考えずに、あるいは私を目標とせずに発したのであろう言葉が、実はその後の私の選択に大きな影響を与えていた、と思うことが多々あり、
もし自分が影響を与える側になったらということを考えると、それは喜びでもあり恐怖でもあると思いました。

言葉は口から出た瞬間に取り消すことができず、もしかすると未来永劫残るもの。
そんな恐ろしいものなのに、言葉という入力に対して相手がどう感じるかという出力を推し量るシミュレーションは、往々にして欠陥だらけです。

私の記述は、いったいどれほどの人を喜ばせ、どれほどの人を悲しませるのでしょう。
そんなことを考えながら書いた文章は臆病で、読みにくい稚拙なものになってしまいましたが、それでも言葉にして伝えさせてもらったことに感謝します。
その拙さも含めて、自分の歩いてきた軌跡だと思うので。

そして最後に、たくさんの出会ってきた人たちに、感謝と喜びと、驚きを伝えたいです。

長い長い体操部の、日本の、いや人類の歴史の中で、私はたった8人の同期と出会うことができて、たった20数人の現役時代を共にした人たちと出会うことができて、たった数10人の体操仲間と出会うことができました。

これだけいろんな人間がいて、これまで出会ってこなかった知らない価値観を持った人がいて、同じ部活に入っていなかったらきっと一生交わらなかったような人がいて、
でも、そんなみんなの人生がほんの少しだけ交わる数年が、そこにあったこと。

それは当たり前のようで驚くべきこと。この世界にありふれた奇跡。
そういう奇跡を人は 一期一会 と呼ぶそうです。

R3 塚田颯子