東京大学体操部 公式サイトへ

東大体操部部員日記

東大体操部の部員による日記です。

引退ブログ①

JUGEMブログで開く
お久しぶりです?4年の安田です。

引退してから随分時間が経ちましたが、引退ブログを書かせていただこうと思います。私は正直体操部のことをよく考えて活動していたかと言われると自信がないので、このブログに役に立つようなことを書けるとは思いませんが、こういう人もいたくらいの記録として書くことにします。

形式的には4年間を振り返って書くことにします。現役の間に何回かブログを書いたので内容は重複するかもしれませんが、どのブログも自分のありのままの考えは恥ずかしくて書いていないような気がします。最後のこのブログだけは自分の正直な気持ちを綴りたいと思います。

その前に、、、4年間私が体操部で体操を楽しく続けられたのは本当に現役部員、福田さん、OBOG・ゲストの方々のおかげだと思っています。本当にありがとうございます。体操が大好きなのはもちろんですが、体操よりも大好きな体操部があったからこそ体操が嫌いになっても体操部に居続けることができたんだと思っています。こんなにいい人ばかりの中で、体操に打ち込み、それを応援してくれる環境で、本当に私は幸せでした。

もう1つ、OBOG係として、
OBOGのみなさまへ 私はOBOG係を2年務めさせていただき、皆様のおかげで私たちが不自由なく活動できているということを実感しました。この場で感謝申し上げます。これからは私自身も皆様と一緒に体操部を支えていけたらと思うのでよろしくお願いいたします。
現役部員へ 体操部の活動はOBOGの方々の支えがあって成り立っています。日頃から感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。また、引退すると自動的にOBOG会に入るので、現役部員のために引退後も体操部を支えていってほしいと思います。

このあとは思った以上に長くなってしまった個人的な4年間の振り返りなのでお時間のある方はお読みください。特にまとまりもないです。
大事なことは言い終わったので、ここで読むのやめてもらっても大丈夫です。

1年生
高校で2年間だけやった体操にはまだまだ未練があり、この先もっと楽しくなる気がしていたので大学で体操部に入ることはほぼ心の中で決まっていた気がします。私は高校体操部の入部当初は、病気により体育すら見学というくらいまともに動けるような状態ではなかったため(そんな状態でも体操部を選んだ過去の自分とそれを許した親をはじめとする周囲に感謝)、周りと比べてスタートが遅れました。そんなことは言い訳にしかならないのかもしれませんが、引退試合では補欠にすら入ることができず非常に悔しい思いをしたということも大学で体操を続けたいと思った大きな理由です。
新歓では先輩方に大歓迎されてなんの躊躇もなく体操部に入りました。信じられないくらいアットホームで、体操をやってる人はみんな仲良しみたいな雰囲気に驚いていたと思います。
1年のときの印象深い思い出として、七大のレセプが思い出されます。飲み会というものを初めて間のあたりにし、初めてビールを口にした(成人していました)ときは衝撃でした、、、。
体操に関しては、前宙〜前宙をたくさん練習していた思い出があります。そして何度も膝を入れていました。着地がわかってないのに前宙〜前宙を何度も練習していたので、今考えれば当たり前ですね。そういえば1年の秋くらいにこの前宙〜前宙による膝の過伸展で初めて救急車に乗りました。くれあさん、付き添いありがとうございました。何回目かの膝のけがで、病院で前十字靭帯が多分切れていると言われました。MRIの結果切れてはいなかったのですが、もしここで切れていたら体操部をやめていた気もします。この頃はまだ体操部への愛着も今ほどではなかったし、少なくとも半年は我慢しながら体操をしなければいけないという状況に耐えられる気がしなかったからです。この頃くらいから自分の体操への向き合い方とレベルを考えると、引退までに1回くらいは大怪我するんだろうなと正直思っていました。冬合宿は膝のドクターストップがかかっていたため、車輪の導入としてひたすらふりさかを練習し、火傷するほどパイプをやったのがいい思い出です。

2年生
体操部のことも体操のことも大好きになったのは2年のときな気がします。初めての公式試合であるグループ予選に出場しました。1年のときに見に行った東日本インカレで、出場していたふなさんに来年は一緒に出ようねって言われたことを思い出しました。多分ふなさんは覚えてないと思いますが私は嬉しかったです。2年のグループでは東に行ける実力はなく、東に進むことはできませんでしたが、3年の東に出場することを目標にしようと思いました。
2年では新しい技に取り組むことの楽しさを覚え、前方系のシリーズ、後方のひねり、ツカハラ、パク宙、振り上げ倒立などいろんな技に手を出していました。毎日のように体操やって、体操部の人たちと遊ぶみたいな生活でしたね。そんな矢先、第一回アキレス腱断裂が起こります。京都での三校戦での出来事だったので、初めて京都で救急車に乗りました。清家さん、ご迷惑おかけしました、ありがとうございました。切れた瞬間、やばいことが起こったのは感じたので、せっかくここまで練習してきたのにというショックが大きかったです。もうこの時点で4月のグループには完全復帰できないので、東の夢は絶たれます。
この頃は本当にみなさんに精神的にも物理的にも助けてもらいました。1個1個挙げているときりがないので書きませんが、たくさん甘えさせていただきました。松葉杖でほぼ何もできない状態でも任意練を含め毎回部活に行っていたのは、筋トレとかリハビリならできるから上手くなるために頑張ろうという気持ちもあるにはありましたが、家で1人でいることができず体操部のみんなに会いたいという気持ちが大きかったです。セットカットできないから役に立たないし、負のオーラを纏ってるかもしれないし、体育館に存在すること自体危険だし、家から体育館まで往復するのもしんどいし、冷静に考えれば任意練の日くらい家で筋トレしたほうが効率的だと思ったこともありましたが、トレ体に行きたい衝動は抑えられませんでした。冬合宿は6人くらいに動員してもらい、ひたすらピットで車輪を練習させていただきました。
周りを冷やっとさせることは何度かありましたが、再断裂することなく2022/03/25に片足で爪先立ちができるようになります。そしてこの日の練習後、次の日から部活が禁止になることが判明しました。まさかその後5ヶ月もの間練習ができなくなるとは思っていませんでしたが、この日が長い歴史を持つトレ体での最後の練習となりました。
2年といえば新歓係も印象的です。直前になってなくなる数々の対面のイベントに焦りを覚え、オンライン形式の新歓に頭を抱えました。1個上の先輩や同期にはたくさん相談に乗ってもらい感謝しています。オンライントレーニングとかオンラインお楽しみ会とか今となってはいい思い出。

3年生
8月末まで部活は再開されませんでした。大学の構内は立ち入り禁止で、授業も全てオンラインだったので帰省していました。アキレス腱断裂から半年ほど経ち、ランニングができるようになった頃に確か東京に帰りジョイに練習しに行っていました。1個上の先輩方の引退試合となる七大戦は中止となりました。ぬるっとした引退になってしまった先輩方のショックを想像すると、大好きな先輩たちと最後試合を一緒に出たかったなんて言えませんでした。
怪我や活動の停止などで今までやってきたことはきっとリセットされてしまうと思っていて、その分ショックも大きかったのですが、そんなことはなく体は意外と覚えていることを知りました。そのおかげで量を重視しすぎないで、動画撮ったり、できる人の動画見たり落ち着いて練習できるようになった気がします。
3年では車輪が回るようになるという嬉しい出来事もありました!ギプスを付けながらも練習したり、怪我と共にあった思い入れの強い技だったので人生一嬉しかったです。
そして第一回アキレス腱断裂から約1年経った12月に第二回アキレス腱断裂が起こります。緊急ではないので今回はタクシーに乗りました。りょうこ、小川、付き添いありがとう。切れた瞬間の記憶は鮮明に覚えています。もうこのときは第一回とは違って、悔しいとは思えませんでした。ただただもう体操をやりたくないと思いました。体操部はやめたくないけど、体操をやらない自分が体操部にいることはできる気がしなくて泣きました。しかし周りに気を遣わせてしまうのが申し訳ないので、なるべく早く平静を装ったつもりでした。でもどんなに元気なフリをしていても、辛さをわかってくれる人たちがいる大好きな体操部をやめることはできないとすぐに思いました。そして手術のために帰省した年末から3月くらいまでまた部活は禁止になりました。

4年生
4年の4月は結構きつかったです。まず唯一だった女子の後輩が辞めてしまいました。女子主将かつ女子新歓係だったのでかなり責任を感じました。そしてグループは延期されずに4月末に開催されることになりました。術後4ヶ月で全種目出場は不可能なので、東には出れないという現実が突きつけられます。そんな中行ったグループでしたが、みんなの応援して餃子食べたら楽しかったです。
後輩に女子がいないので、私は2年連続で新歓係をやりました。4年では3年のときと違って、1年生がたくさん連絡をとってきてくれました。女子部員は絶滅の危機だったので、颯子や智香子が入部宣言してくれたときは文字通り飛び上がって喜びました。2人とも上手で、いい子だったので安心しました。
3年、4年は体育館の入場制限で、平日の特に任意練のときは人数不足が深刻でした。私は研究室にコアタイムなどがなく、実験室が体育館の中にあるという特殊な環境だったので、毎日最初から練習に来ることができました。16:58くらいになっても誰も来ないときは絶望でした。週1〜2回、1〜3人練があり、倒立をたくさんやったので、3年くらいまで止まる気配のなかった倒立は止まるようになりました。早く体育館の入場制限なくなるといいな。
七大戦は対面ではできませんでしたが、オンラインで開催されることになりました。最後に女子選手全員で団体を組んで出場することができて嬉しかったです。主幹の大阪大学はもちろん、女子の採点なしという状況を食い止めてくださった福田さんには本当に感謝しています。現役最後の練習かつ七大の動画提出の締め切り日に、現役最後のブログを書いたのですが、実はあの後初めてツカハラの着地をとることができたんです!泣きそうなくらい嬉しかったです。頼もしい1年生2人のおかげで七大戦では団体優勝することもでき、私にとってはこの上なく良い引退ができました。

引退のときには満身創痍で、割とやりたいことはやり切ったと思えたので、とりあえずしばらく休もうと思いました。それで筋トレや柔軟もせず、過ごしていたら何もできなくなって体操を辞めていくんだろうなーと思ってました。ところが、体操を今でも現役並みに続けている自分がいます。やっぱり私は体操部と体操が大好きなんですね。引退してからも迎え入れてくれる後輩たちがいて嬉しい限りです。

4年間振り返ったら怪我の話ばっかりになってしまいましたね。

ここまで読んでくださった方も途中すっ飛ばした方もお読みくださりありがとうございます。少なくともあと2年は体操部を近くから支えていきたいと思っています。

体育館などでまたお会いしましょう!

4年 安田彩夏