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東大体操部部員日記

東大体操部の部員による日記です。

引退ブログ②

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はやいもので、体育館で引退を記念する色紙と花束をもらってから気づけば半年も経っていました。

この間私は存外忙しい日々を過ごしておりました。
平日はほとんど地下の小部屋にこもって朝から晩まで実験をし、休日は引用や参考のために英語文献を読み漁るか、就職前の駆け込みで友人との数年ぶりの再会を喜ぶかでした。

一度だけ、用事があって部活にお邪魔した際、某元部活同期の高校の後輩くんから「旅行とかして遊びまくってると思ってましたwww」と言われたときには
彼のてのひらの潰れた豆をさらにえぐって赤黒くしてやろうかと目を細めたほどです。

こうして体操とはほとんど無縁の生活をしている間、私は引退ブログを書きたいという気持ちはひとつも生じませんでした。

それは忙しさのせいというよりも、私の紡ぐ文章が読む人の心に暖かさや感動を与えるたぐいのものではなくなってしまうだろうことを予期していたからです。私のかような心中を記したところで、いったいのちの体操部に何を残すことができようか、と斜に構えていたからです。

しかしながら、そんな私の胸中とはちがって、引退生のブログというのはそれなりに需要があるものらしいと知らされました。
それでようやく重い筆をとり、いかに筆を運ぼうかと頭を悩ませているところでございます。

先程も申し上げました通り、その内容は必ずしも皆様のこころを明るくし、なにかためになるものを残すとは限りません。終わってみれば長い文章を読むその時間だけを無駄にしてしまったということになるかもしれません。

したがいまして、これより下はそれでも私氏家の4年間に興味があるという方だけ、読み進めていただければと存じます。

◯

「氏家さんってなんでマネージャーしてるの?」

2年生の夏、駒場祭委員会で知り合った友人からこう聞かれたとき、私はすぐに答えを口にできず、「え?」と彼の顔を見上げるのが精一杯でした。彼はこれに対して

「俺は、マネージャーって自信のない人がするものだと思ってた。自分ひとりでは自分の存在意義を認めてあげられない人が、こんな自分でも人から必要とされるって思うことで居場所を作るんだと思ってた」
「でもさ、氏家さんってそういう感じはしないから。だから、どうしてだろうって」

と続けました。

私はなるほどと納得して、「みんなが私をどんな人間だと思っているか知らないけれど、私もそんなような理由だよ」

と答えました。

高校生の私だったら、最初の質問の時点でそこまでどもることなく、「選手だったんだけど、怪我しちゃって。でも陸上は好きだから」とか「人の役に立ちたいから。ありがとうって言ってもらえるの嬉しくて」とか、きっと笑顔で答えたことでしょう。

でも、大学2年生で、体操部でマネージャーをしていた当時の私には、そういう答えは浮かんできませんでした。彼がその質問をした時期が、ちょうど私が体操部をやめようかと悩んでいた時期だったのも影響しているかもしれません。
このわけを話すには、1年生まで時間を遡らなければなりません。

◯

「本当はマネージャーを本気で募集する気はなかった。体操を始めるハードルが高いと感じる初心者の子を、マネージャーとして入れて後から選手になってもらえたらいいなという理由だった。あるいは、体操をやめた経験者がコーチングでもしてくれればいいと期待していた」

そう聞いたのがいつだったか、それを伝えた先輩の表情はどんなだったか、どんな言葉で説明してくれたのだったか、そう言われて私自身はなんと答えたのだったか、わたしは正確なことはほとんど覚えていません。
その日の話し合いがどんな方向でまとまったのかすら思い出せません。

店の閉店がせまったこともあって意外と早めにお開きになったこともあり、私は混乱していたのでしょう。
それでも井の頭線で最寄り駅につく頃には、ぐちゃぐちゃだった頭もいくらかまとまっていましたようです。
ただ、あまりに無理やりまとめようとしたせいか、明治大学の脇を歩く私の頭を支配していたのは「私って、いらない子だったんだな」という、最も避けるべき結論でした。

これを伝えた先輩の意図するところは

「こんな中途半端にしか考えられていない仕事内容ではやりがいも薄く部のための最善の状態でもないのだから、改めて考え直して日々の業務を拡充させていこうではないか」

という前向きな方向であったことでしょう。実際、その会のお開きの時点ではそういう方針で終わったのだろうと思います。しかし、私はそう考え、実行に至るにはあまりに幼く、脆い人間でした。

これは10分かそこらという乗車時間が熟考には短すぎて短絡的な思考に陥ったとかいう不幸の話ではなく、例えば私の家が埼京線の沿線にあったとしてもきっと同じで、つまりは元来のわたしの性質が招いた結論にほかなりません。

駒場祭委員会の彼の仮説は、彼の所感とは違い、やっぱり私によく符合していたのです。

◯

それから、先輩方は必死になって私の仕事を考え出してくれました。

私は本を読んだり某ゲストさんの指導を受けたりしながらマッサージを覚え、先輩は毎度練習台になってくれました。動画を撮るだけではなくコメントがほしいという需要をもとに、ド素人の私にでも技術指導ができるようにと体操を教えてくれる人もありました。

しかし、周囲の熱と伸びる技術とは裏腹に、私のこころは依然として後ろを向き、体育館へ向かう足までも同じ方向に引きずり込む勢いでした。

体操部には継続的にマネージャーが入ってこない以上、「マネージャーがいないと困る」という状況は作れません。

わたしがいなくたって大丈夫なのだ。であれば、私は一体なんのためにここにいるのだろう。なんのために必死になってマッサージやら転回のコツやら覚えているのだろう。これまでダウンの時間だってトレーニングに充てる人ばかりだったろうに。ロイター板を踏んだことすらない素人の意見を素直にきいて取り入れるような聖人ばかりではないのに。
そもそもこれまでマネージャーがいないなかで部活を維持するために、選手同士頼みにくいことでも頼み、頼まれた動画を撮るついでにアドバイスもし合える、そういう関係を築いていたのではないだろうか。私は手伝いをしているように見えてその実むしろそういう機会を奪っているのではなかろうか。私はいても役に立たないどころか、むしろいない方がよっぽど良いのではないだろうか。だとしたら私は本当になんのためにここにいるのだろう。部活は私を必要としていないし、私の心も体育館に来たってちっとも踊らないのに、私はどうしてここにいるのだろう。

一度考え出すと、暗い感情はとめどなく流れて私をいざない、私をいちばん低いところへ落とすまで止まらぬ濁流となりました。

たまにその一部をうっかり他の人へ吐露することもあり、たいていは否定の言葉と日々の感謝を贈ってくれるのですが、私には優しい嘘に聞こえるばかりでした。

まるでガソリンのタンクに穴があいた車のように、回路を切られた電球のように、私に活力と呼べる類のものがもどってくることは、二度とありませんでした。

◯

「おまえはどうして部活をやめないんだ」

部活をやめていった元同期に、私は何度も聞かれました。実のところ、当時の私自身もなぜやめる決心がつかないのかわかりませんでした。

自分のために悩んでくれる先輩に負い目を感じていたからでしょうか。一度始めたことを途中でやめることはプライドが許さなかったのでしょうか。

今になって振り返れば、私は体操部は好きじゃなかったけれど、体操部のひとたちのことは好きだったから辞められなかった、それだけのことなのだろうと思います。

マネージャーの醍醐味というのは、選手の歩みを一番近くで、でも外側からみられることにあります。選手一人一人が、どれだけ熱心に練習に打ち込んでいたか、スランプに苦しんだか、勝利と成長を渇望していたか。そういうものを知っているだけで、試合の感じ方が違ってくるということを、私は高校時代に痛いほど経験していました。

体操部のひとたちのことが好きだったからと言いましたが、それは単にその人柄の良さに惚れプライベートの付き合いがなくなるのが怖かっただけではなく、プライベートではほとんど交流がなくても、選手としては応援したいと思わせるようなひともいたのです。「さいごまで、見届けたい、見続けたい」そう、思ってしまったのです。そうして、ただみているだけではなく、私がその歩みを前にすすめることに一役買って、あなたの物語に私が登場できれば、それはどんなに幸せなことだろうか、と考えるのです。助かるよの一言すら優しい嘘だと一蹴する私の心持ちでは、その夢が叶うことは永遠にないというのに。

◯

コロナウイルスで活動停止になってからは、少し風向きが変わりました。

私は運動会総務部で幹部を務めており、活動再開を望む各部の幹部と、厳しい姿勢を崩さない学生支援課との間で板挟みになっておりました。
通常の幹部業務に加えてコロナ対応に迫られた総務部執行代の忙しさは筆舌に尽くし難いもので、体操部が私を求めていないということなど気にする余裕を奪っていったほどでした。

夏になってようやく活動が再開されましたが、そのあとすぐに、先輩方は引退して、同期の治世になりました。

同期も後輩も私にこれ以上なにも期待もしていなかった(と私は思っていた)し、だからこそ私は「ただのわたし」が体育館にいるのが許されるような気がしていました。
私はそれまで以上にマネージャーとして役に立つことを諦観し、実際なんの努力も起こさなくなりました。
そうなってしまうと私はとても心が軽く、以前のように濁流にのまれることもなくなっていましたが
同時にわたしはそれ以上いっさい体操部において成長を得ることもなくなりました。

あいもかわらず忙しい総務部の仕事をしているときのほうが、よっぽどわたしらしいと感じました。

◯

こうして毎日をなんとなくやり過ごしているうちに、気づいたら私は引退を迎えていました。
私は悲しいとも寂しいとも感じず、ただ、ようやく終わったらしい、とぼんやり考えただけでした。

「入部しよう」と決めたときには何もしないよりは毎日が充足するだろうという期待だけを持って入部したはずだのに
引退する時になると「私が4年間で得たものは…」と当初の目的とは違った振り返り方をするのはなぜでしょうか。

ここまでお付き合いいただいた皆様には明らかな通り、私は4年間ただふさぎ込んでふてくされていただけであり、当然私の手の中に残ったものはなにもありませんでした。
それでようやくわたしは後悔に似た羞恥の感情を覚えました。

あの日、わたしはどうして先輩の期待どおりに前を向いて走り出すことができなかったのだろう。どうしてそれから一度も立ち直ることなくプツリと糸を切ってしまったのだろう。もう二度と立ち直れないのなら、どうしていっそ退部しようと決断できなかったのだろう。どうして、何も言わない同期と後輩の優しさに甘えてしまったのだろう。どうして、こんな気持ちで引退を祝ってくれる人たちの前に立つことになってしまったんだろう。

私は、胸を張って「体操部に入ってよかった」ということはできません。

それは決して体操部という環境が劣悪だったからではなく、つまりは元来のわたしの性質が招いた醜態にほかなりません。ここでマネージャーを務めるには、わたしはあまりに器が小さく、根性のない未成熟な人間でした。深く考えずにマネージャーを募集して悪いことをしたと謝ってくれる先輩もいらっしゃいましたが、そのたびに私は謝らせてしまうような結末を招いた自分を恥じました。マネージャーを募集したことがまちがいだったのではなく、わたしが入部したことがまちがいだったのだろうと思いました。そうした自分の愚かしさと矮小さに気づけたことこそいちばんの財産だろうと思いました。

引退式で、わたしは後輩に「後悔のないように」と伝えました。

部活は、少なくともわたしにとっては所属して言われたとおりにしていればそれだけで幸せになれる場所ではありませんでした。自分のこころが真にもとめるものは何なのかを知り、それを手に入れるためにときには必要な犠牲をはらってようやく安寧のうちに引退ができるのだろうと今は憶測しています。目標を叶えての引退というのは私はほとんど不可能だと思っています。力をつければそれに応じて目指すところもあがっていくのが自然であり、引退にちょうどぴったり合わせて実現可能な目標を持ってくるというのは至難の業だと思うからです。とすれば結局さいごの気持ちをかたどるものは、いかようにそこまで歩んだかによるところが大きいと思えるのです。4年間ひとつも選択を誤ることなく、いっぺんの悔いなく去ることは困難でも、少なくとも私のように、こころにひとつ残ったものが後悔に似た羞恥であるということだけは避けてほしいのです。だれかに認めてもらうためではなく、自分が自分を認めてあげられないことのないように、後悔のない日々を過ごしてほしいのです。

◯

さて、ここまで私の薄っぺらいありふれた独白にお目通しいただきましてまことにありがとうございます。予想通り読む人の心に暖かさや感動を与えるたぐいの文章ではなかったことをお詫び申し上げます。
きっと最後まで読んでくださった方のほとんどが、私のことを気にかけ、私が楽しく過ごせるようにと手を尽くしてくださった方であることでしょう。
皆様には感謝してもしきません。本当に、本当に、ありがとうございました。そして、本当に、申し訳ありませんでした。許してほしいとも思いませんが、せめて、感謝の気持ちだけは、受け取っていただけますと幸いです。

それでは、いつかまた、体操部にマネージャーが入部するようなことがあれば、そのときにはきっとひっそりとこのブログが削除されて、私の4年間が歴史の闇に葬られんことを祈って。

4年 氏家