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東大体操部部員日記

東大体操部の部員による日記です。

悩む人に

JUGEMブログで開く
今回引退ブログを書くにあたり、時系列に沿って出来事を振り返る形で途中まで書き連ねたが、そこから形式を変更した。それは、引退ブログを書く目的を考えた際に時系列に沿う形が適切ではないと判断したからだ。

私にとって引退ブログを書く目的とは、

◯自分の経験から何を感じたか、何を学んだかを伝えることで
・自分と同じ失敗を後輩が犯さないようにするため
・「東大体操部」に悩む誰かに思考の一助を提供するため
◯13年間真剣に体操と向き合った経験から得た知見を伝えることで、東大体操部の技術向上に少しでも寄与するため

だと考えている。
この目的を達成するために、以下のような形式を採用することにした。偉そうに語る部分も多く存在するが、これを読んだ人に考えるきっかけを与えられることを願っている。

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目次

⓪新入生へ
①モチベの差に悩む人へ
②部活の制度に悩む人へ
③体操部のことを考えながら生きている人へ(≒体操部が好きな人へ)
④試合で点数を取りたい人へ
⑤主将をやりたい人へ
⑥部活を辞めたい人へ

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⓪新入生へ
新歓が始まるタイミングなので読んでくれている人がいるかもしれない。一応新入生に向けて書きたいと思う。
私は誰なのかというところからだが、私は昨年の9月にこの部活を引退したOB1年目の「海智さん」と呼ばれる人だ。春からは大学院の1年生になる。このブログは引退ブログというもので、OBOG1年目の我々が書くものなので部活の雰囲気とか部員の雰囲気について知ることはできない。現役のブログとの境目が無く申し訳ないが、現役のブログを読みたい場合はarchivesというところから遡れるのでそちらを見てほしい。

さて、これを読んでくれているということは体操部にちょっとでも興味を持ってくれているということだろうから、それはすごく嬉しい!体操部に限らず色々な新歓に顔を出して、美味しいご飯をいっぱい奢ってもらうのが良いし、春からの生活や授業については先輩に聞けば喜んで答えてくれるだろう。少し勇気を出して、色々なことに挑戦してみよう。もちろんその中で体操が選ばれたなら、それより嬉しいことは他にない!!

体操部の魅力については現役のみんなが話してくれるだろうし、雰囲気の向き不向きも新入生自身で感じ取るだろう。自分の直感を大事に、これから4年間属するコミュニティを決めてほしいと思う。

これ以降に続く文章をもし読んでくれるのであれば部活の裏の顔が垣間見えるような気がするかもしれないが、これはコミュニティに存在する「悩み」を集積したものだ。体操部に限らずいろんなコミュニティに存在するし、中には高校時代に君たちが経験したような悩みもあるかもしれない。
体操部の新歓に来てくれたらこのような「悩み」は影すら見えず、腹黒さをさらに疑ってしまうかもしれない。しかし、入部してもこのような暗い部分が見えることは無い。なぜなら、このような悩みは誰もが心の奥底に溜めている悩みであり、表面化しないからだ。

これ以上ゴタゴタ言っても仕方がないと思うのでこれくらいにしておくが、大事にしてほしいのはやはり直感でコミュニティを好きと思えるかどうかだ。新歓をとにかく楽しんでほしいと思う!!

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①モチベの差に悩む人へ

体操モチベと体操部モチベに分けて考えよう。

◯体操モチベ
自分のモチベが低くて悩む人と周りのモチベが低くて悩む人がいると思うが、双方に共通して理解してほしいのは、部則の前文だ。
東大体操部の部則の前文には「体操競技を楽しむこと」と書かれている。
「体操競技を楽しむこと」という抽象的な表現には数多の解釈が考えられる。上手くなるのが楽しい人、車輪や宙返りができるのが楽しい人、好きな種目を極めるのが楽しい人、今持っている自分の技が出来れば楽しい人…どんな人もこの部活の目的は達成している。そこに政治家の苦し紛れの答弁のような不透明さは欠片も無い。

これに則って考えると、自分のモチベが低くて悩む人は、体操が楽しければ何の問題もないのだ。「周りの人がすごく頑張っているから居心地が悪い」という感情はこの東大体操部という環境において抱く必要はない(体操が楽しいという前提付きではあるが)。「周りの人がすごく頑張っているから自分も頑張らなくちゃという気持ちになるけど...」という人は他の人に触発される気持ちと自分の中の気持ちが衝突しているのだろう。そういう場合は、双方の気持ちをよく観察し、どちらの天秤がより傾いているかを分析しよう。「やる気がいまいち起きない」に傾いたなら、楽しく体操ができていればそれで良い。胸を張るべきだ。ちゃんと考えた上での選択には、必ず自信が伴う。

周りのモチベが低くて悩んでいる人は、一度自分を俯瞰して見つめよう。体操に高い向上心を抱く人には言いづらいが、東大体操部においては「体操が上手いこと」「モチベが高いこと」が正義ではない。辛い現実であることは私が誰よりも理解しているつもりだ。しかし、感情論を抜きにして一度俯瞰しよう。部則の前文が「体操競技が上手くなること」であれば君たちは正義であるが、この部活においては体操が上手くなるよりも、体操を楽しむことが優先事項とされており、その前提のもと部員の思考や感情が構成されている。

繰り返しで申し訳ない。感情論を抜きにして言うと、この部活はモチベの高い他人のための部活にはなっていない。同じような志を持つ部員が他にいればラッキーという環境だ。
だからこそ、君の取るべき選択は外の世界を見ることだと思う。部活を辞めるということではない。他大の練習やジョイ、ミズトリに積極的に行って、外部の人から刺激をもらい、同じような目標を持つ人と繋がるのが最善の選択だと思っている。

ジョイで日野さんや鼓太朗さん、法政の先輩方と出会い、明治に勇気を出して足を踏み入れ多くの猛者から刺激をもらい、そして、いっぺーと3年間ライバルとして戦い続けられたこと。私の体操人生は東大体操部と同じくらい多くのものを外部の人からもらってきた。
しかし、外部から刺激を受けることは東大体操部への帰属意識の希薄化には全くつながらなかった。この原因はきっとモチベの差を超えた愛を体操部に抱いていたからだと思う。

◯体操部モチベ
体操部モチベとはそもそも何かを定義する必要がある。体操部モチベとは「東大体操部に帰属意識や責任感を感じていること」としよう。体操部モチベが高ければ練習に行くのが楽しみだったり、部の仕事を率先してやったりするし、体操部モチベが低ければ部活に行かない(任意練に行かない、練習を休む)ことへの抵抗感が低かったり仕事への責任感が低かったりする。

体操部モチベの差に対する私なりの答えは、「思いやりを持つこと。なぜなら、立場によって人は変わるから」だ。引退式でも話したが改めて書こう。

「義務練は義務ではなく権利。」引退ブログでの百花の意見には概ね同意するが、幹部代、とりわけ主将になると「任意練が任意ではなく義務」になる場面が多くなるように感じる。しかしこれは、「幹部代、とりわけ主将になると」という条件付きだ。
1年の時、私は体操しかしていなかった。部活がどうとかほとんどわからず、とにかく週3回体操しに来ていた。2年になり数合わせで常務になってからは仕事への責任感や部活への意識が養われ、主将になってからは2年生で培った責任感や意識により広い視座が加わった。この通り、立場が上がれば責任感や帰属意識は高まる(厳密に言えば、常務になったのは同期の中で一番部活のことを考えていたからだったが、その意識も結局「体操が上手い⇨チヤホヤされる⇨部活への帰属意識が高まる」という流れであったため、「体操が上手い」という立場から発生する思考であった)。

新歓係にならなければ見えなかった部活の側面があった。主将にならなければ持ち得なかった部活への見え方があった。同じように、与えられた「立場」によって部活の見え方(改善点がほとんど)は変わり、それに伴い部活への価値観も意見も変わる。そう、人は置かれる立場によって考え方が変わるのだ。自分の中の正解は、状況により常に変化する。この考えをもとに伝えたいのは思いやりを持つことだ。
体操部モチベが高い人にはその理由となる立場(体操が上手い、高学年になったなど)があり、体操部モチベが低い人にはその理由となる立場(他のコミュニティとの両立、インカレなど)がある。重要なのは、双方がこれを理解し、双方の立場から物事を考える意識をつけることだと思う。

体操部モチベが高い人は、仕事をやらない人に「なんでやらないんだ」とフラストレーションを募らせるのではなく、その人の立場に思いを馳せることで、感情論をクッションで包み、部活を円滑に進めるためにはどうすればいいかを考えることができる。
体操部モチベが低い人は、「仕事をちゃんとやってね」と言われることに対して適当に相槌を打つのではなく、それを言ってくる人がどういう立場でどういう状況に置かれているのかに思いを馳せることで、仕事への責任感が芽生えるはずだ。
この双方のアクションには、ただすけの言う「褒めること」がものすごく強いシナジーを持つと思っている。お互いに褒めてリスペクトする関係が好循環を産むと確信している。

理想論に聞こえるだろうか。多くの部員が1年の時に惹かれたであろう東大体操部の素晴らしい雰囲気において、きっとこの思いやりは実現し得ると思っている。お互いがお互いのことを少し想うだけでいい。それだけで主体性も、責任感も、部活への愛も、養われると信じて止まない。

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②部活の制度に悩む人へ

幹部代と幹部代ではない人に分けて考えよう。

◯幹部代
君たちは部活の制度を変える権利を持っている。おかしいと思うことは話し合って変えることができるわけだが、そんな中で意識してほしいことは二つある。
まず一つ目は、公私混同を避けることだ。当たり前だと思うかもしれないが、じゃあどうすればいいかと言われるとかなり難しい。例えば「〇〇制度を変えることについて」という議題に対して幹部代の意見を聞いて決めるだけでは、幹部代にとっての良い部活になってしまう。「3人寄れば文殊の知恵は同じ3人が集まっても仕方がない!」ということだ。
多様な側面(現役orOBOGorゲスト/男子or女子/東大体操部or他大の体操部or東大の他の部活etc)から制度の変更に対する影響を考えることが解決策となり得るが、これをひとりで考えることが難しいから幹部代で話し合う必要がある。この多様な側面から考えるというのが、想像力を働かせる必要があるため、幹部代での話し合いにおける公私の公とは定まった形を持たない(時にはOBOGの立場から考えるし、時には他大の体操部の立場から考える)。だからこそ難しいのだ。
これに対するフォーマットのような解決策は申し訳ないが持ち合わせていないため、私たちの同期ミーティングの中で出たクリティカルな意見を何個かピックアップしたいと思う。ある程度一般化して、自分の中での選択肢の一つとしてくれれば幸いだ。

・休部制度
簡単に休部は出来ないようにするべきという方針において、罰則のような形で進めるのではなくて休部期間を2ヶ月以上〜と定めることでテスト勉強などによる気軽な休部の使用を認めない方針にした(罰則のような形だとオフ=いいこと、義務練=辛いというイメージを与えてしまうため)
・ゲストの人数制限
ゲストが多すぎて現役の練習が満足に出来ないことに対して、法政の1年男子が来ることは東大の1年男子が少ない観点から見るとメリットでもあるのではないかという意見が上がった
・会計の事案に関して
会計は一度ミスるとずるずると続いてしまう性質があるため、二人で係を行えば今後の問題については解消できるのではないか(事案が起こった原因を人の性質ではなく係の性質から見るという観点がクリティカルだった)

二つ目に意識してほしいことは、全ての制度には存在する原因や背景が必ずあるということだ。体操部の歴史の中で義務練ができたことや、試験オフが無くなって自由オフに包含されたこと...そういった原因や背景を調べるないしOBさんに聞いた上で、その背景が今の体操部の文化と迎合していないなら進んで変えるべきだと思う。毎年変化する環境に適応するようにルールを決めるのが幹部代の仕事だ。

◯幹部ではない人
部活の制度に関して思うことはあってもどうしようもできない状況に歯痒さを覚えると思う。しかし、君たちが一番上の代になる日は必ずやってくる。そんな君たちに送りたい言葉は「初心忘るべからず」だ。時間と共に学年が上がり、役職が増えて立場が上がる中で、自分が誰かの下についていた時に抱いた感情・思想を忘れずに立場を上げていってほしいと思う。ありきたりな言葉になってしまい申し訳ないが、今君たちが感じている感情を忘れずに心に止めておくことで、幹部代になった時に後輩の思い悩むことが少しでも軽くなると思っている。
そしてもう一つ。これも引退式で言ったことの繰り返しになってしまうが、初心忘るべからずという言葉は、忘れてしまう初心を持っていることが前提となっている。だから、(「部活の制度に悩む人へ」と言う題目には適していないが)部活の制度について何も考えのない人は、そもそも忘れてしまうような初心を抱くところから始めてほしいと思う。周囲の状況に対して過敏になってほしい。現状維持の志向を捨ててほしい。その初心が、体操部をより良い環境にするための歯車の一つになる。

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③体操部のことを考えながら生きている人へ(≒体操部が好きな人へ)

体操部のことを考えながら生きている人は、東大体操部が自分の延長線上にあるような感覚なのではないだろうか。体操部にとって良いことがあったら嬉しいし、体操部にとって良くないことが起きたら悲しい気持ちになるというのは、感情の揺らぎが体操部の変化に起因している。すなわち、体操部と自分が重なっているということではないだろうか。
これに共感する人がいるのなら、君の責任感は他の部員と比較して卓越しているだろうから誇っていい。多くの後輩が私にくれたように、きっと多くの人が君に感謝と尊敬をしているだろう。責任感が強いことは自責の念を助長しがちだが、君の頑張りは誰かが必ず見ていることだけはわかってほしい。

その上で伝えたいことは、「体操部以外のコミュニティにも属するべき」ということだ。
私も体操部が好きで、自分の延長線上に体操部を置いていた。しかし、3年の冬に全てを失った。同期も後輩も、本当はどう思っているのか分からず、全員に人間不信を抱いていた。部活に行くのが怖く、駒場東大前の階段を登る足が重かった。そんな時期に心の支えとなったのは、学科同期の存在だった。
奴はラクロス部の主将を務めており、学科内で一番仲のいい存在だった。何と言っても一番良かったのは、私と考え方が大きく違っていたことだった。私はかなり感情人間で、部員がどう思うかをベースに考えるのに対して、彼はかなりロジカルな人間で、部活全体が円滑に進むことをベースに考えていた。どちらが良いかはさておき、人がどう思うかに対して不安を感じ続けていた当時の自分にとって、彼の考え方で考えることが心をかなり軽くした。
また、全く別のコミュニティの人に自分の思いを聞いてもらえることも当時の私にとっては安心材料になっていた。

一つのコミュニティに固執することはやはり好ましいとは言えない。likeからdependの関係になり、そのコミュニティがダメになった時の影響が大きい。複数のコミュニティに属し、それぞれにlikeを振り分けられるような状態が心の安寧に寄与するのではないかと思っている。

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④試合で点数を取りたい人へ
技ができるようになることと試合で点を取ることは似て非なるものだ。技ができるようになる「楽しい」と、試合でノーミスの演技をする「楽しい」は全く別のものだと思う。その上で、ここでは試合で点数を取ることについての自分の考えをまとめたいと思う。

そもそも、点数を取りたい試合とはどんな試合だろうか。経験者で言うと全カレに向けた東日本、4年生で言うと引退試合の七大戦、中には霜月で誰々に勝つと言う目標を立てる人もいるだろう。
点を取るにあたってまず重要になってくるのが技の取捨選択だ。常々言っているが、試合で点を取りたいなら10回やって8~9回通る構成まで難度を落とすのが最短経路だ。「あの技に挑戦したい」は次回に持ち越さなきゃいけない。その技をやって得られる0.7や0.8よりも、落下の1.0や足割れ膝曲がりの0.5を取りに行くんだよ。
その上で、余裕のある人は7技で安定した構成を固めるべきだ。点を残すにあたって、技数減点は何が何でも避けなければならない。

ここで問題が二つ生じる。一つは6技ギリギリで通しをしており、取捨選択する余裕のない人がいること。もう一つは、どうしても技をやることと点を取ることを両立したい試合があることだ。

まず、6技で通しをしている人は選択の余地がないため、とにかく現状の通しの精度を高めるしかない。これは、迷いがない分やるべきことがはっきりしているとも解釈できる。
不安な技は勝率を5割程度まで高めたら通しの中で前後に行う技と一緒に行い、そこから徐々に通しに近づけていくのがいい。また、アップの中で安定している技は繋げて練習することも、「当然」できる技が「自然」にできるようになる段階へ近づく。
技の安定化に不可欠なのは言わずもがな改善の意識だ。現状では体の動かし方があっていない部分があるから技ができていない。それがどこか分かっているならとにかく身体が覚えるまで練習だ。それがどこなのか分からないなら周りに頼るのがいい。先輩後輩の垣根を越えて高めあえる環境こそが東大体操部の強みなのだから。分からないを分からないのままにしない。試行錯誤を重ねた先に得られる強い達成感は、入部当初に抱いた君の楽しいという感覚を呼び起こさせるはずだ。そうして先人達は皆、体操の沼にはまっていったのだ笑。

どうしても技をやることと点を取ることを両立したい人は、その試合の前に「挑戦する試合」の機会を設けるべきだ。可能であれば成功体験を得られるまで何度も挑戦の機会を設けるのが良い。公式の試合でなくても、試技会や新技発表会、自分だけユニフォームを着て通常練習の中で通し練を行うでもいい。「挑戦するべきタイミングでしっかりと挑戦をして成功させた」という自信を一つ心に持っておくことは、技への不安と点数の不安の双方から押しつぶされそうになる自分を守ってくれる。結果こそついてこなかったものの、七大戦での鉄棒では、「全カレで持った」という事実が息の詰まりそうな圧迫感と緊張から救ってくれていた。
なんの根拠もない感覚論だが、普段の練習で勝率が5割を切っていると感じる技は試合特有のプレッシャーに押しつぶされる。逆に5割を越えていれば、試合特有のプレッシャーに勝てるだけの自信を持ち得ると思っている。体操は己との戦いだ。演技本番に誰かが物理的に助けてくれることはない。そんな中でとにかく自分だけは自分を信じられるように、本番までの過程を大事にしてほしいと思う。

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⑤主将をやる/やりたい人へ

「なりたい姿を想像し、貫け」これだけを伝えたいと思う。
具体的にどんな主将がこの部活の属性と合っているのかといったことは、君がこれから先の主将人生で悩むべきだ。し、いろんな主将がいていろんな体操部の形が出来上がるからこそ部活というものは面白い。
一方で、そういった悩みとは裏腹に君はこの部活の頭として部員全員の舵を取らなければならない。主将についてあれこれ考える前にまずは部活とは何か少し考えよう。

東大体操部が東大体操部たる所以は何か?体育館が仮に別の場所へ変わっても練習はできるから空間が所以ではない。法政のように自分の体育館を持たない部活が存在するから、器具でもない。誰か部員が辞めても体操部は進み続けるし、仮にほぼ全員が辞めたとしても(運動会の名は無くなるかもしれないが)部員が0にならない限り体操部は続く。
東大体操部が進み続けるのは、関係する全員が東大体操部の存在を信じているからだ。ゲストが練習できる環境の存在を信じ、OBOGの方々が現役の練習している姿を信じ、部員が共通のルール(=部則)を信じ、それを遵守しているからこそ実態を持たぬ東大体操部という概念が成立している。

主将も似たような概念だ。部員がその人を組織の長だと信じることで初めて主将が主将たり得る。
ここで大事なのは、部員が主将を主将と信じるに足る「何か」だ。東大体操部は部員全員がルールを信じ、遵守することで存在が信じられている。では主将の存在を信じるために必要なのは何か?
個々人の求めるリーダーシップが異なる以上全員にとってのいい主将など存在し得ない。そんな中で大事なのは「一貫性」だと思う。軸のないリーダーは何をしたいのか分からないため信じるべき対象がはっきりとしない。だから価値観も分からず、言い分が間違っているかもわからないのでそもそもぶつかることすら出来ない。多様な価値観が存在する環境においては、主将は釈然と自分の軸を主張し、それに伴った行動を示すことが重要だと思う。これは、「主将はちゃんとするべき」というようなことを言いたいわけでは全くないことを理解してほしい。自分の描く主将像に従って、矛盾した行動をしないことが重要だと言いたい。「周りの優秀な部員に支えてもらう、愛される主将」でも全然良いんだ。

そこで描く主将像は、鮮やかであればあるほど良い。「みんなが憧れる主将」のような漠然としたスタートラインでも構わない。なぜそうなりたいのか、そこには自分のどのような経験が背景にあるのか、そうなるために今自分が持ち合わせている強みは何か、持っていない弱みは何か、それを克服するためには何を意識したら良いか。それらを考える中で自分のなりたい像と周りから求められている像の輪郭をはっきりと知覚し、なるべき姿が明確に見えれば、部員も主将の進みたい方向を認識することができる。

説明能力の低さからわかりづらい文章になってしまったと思うが、部活云々のくだりは枝葉であり、本質的に言いたいことが伝わっていると嬉しく思う。

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⑥部活を辞めたい人へ

まず、漠然と辞めたいと思っている人は明確な理由を探るべきだ。辞めたいと思うことそれ自体は悪いことではない。マイナスな感情をなんとなく抱えながら部活を続けることは時間の無駄だ。貴重な人生の夏休みなんだ。なあなあで終わらせるのは勿体無い。自分が負の感情を抱いているのは何なのかをちゃんと探ろう。
その上で、同じ「部活を辞めたい」でも様々な原因が考えられる。考え得る理由それぞれについて別個に見ていこう。

◯外的要因により辞めたい人(他にもっとやりたいことがある等)
体操部と外的要因を天秤にかけた時に外的要因に大きく振れる場合、辞める事が正解である確率が高い。しかし、東大体操部に心残りがあるのなら続けるべきだ。

◯外的要因により辞めざるを得ない人(授業が忙しい、他にやりたいこととのバランスが取れない等)
体操を続けたい、体操部にいたいという未練が残る場合は、幹部に相談しよう。例外的な事象を判断するのが幹部としての仕事だし、幹部も難しい議題だって後輩の悩みならば解決したいと思っているはずだ。
これは断言しておくが、自分の中で円満な退部とならない事案には必ず悔恨が残る。究極的な二者択一になるような事例は極めて稀で、大体は自分であれ他人であれが何かしら妥協し、折り合いをつけることで体操部と外的要因は両立し得る。なので、重要なことは「自分がどちらの道も辿りたい」という意志とそのために何を犠牲にできるかを明確に伝えることだ。

◯内的要因により辞めたい人
上の二つは他の部員の相談を元に思考したものであるため言葉の重みが無いが、ここに関しては実感を伴って語れるだろう。
a. 体操が楽しくない人
怪我で動けないことと、新たな技へのハードルが高くて成長が停滞していることの2点が原因として考えられる。

怪我について。怪我は本当に萎える。ほとんどが自己責任で、体操しにくるはずのトレ体で体操ができないのは目的を見失う。動けずに筋トレをしている間にライバルが新しい技を成功させた日には真っ先に帰りたくなるだろう。
私の経験を話そう。1年の時、慎吾さんが引退式にてダウンの重要性を語っていた。「かずきさんからダウンは大事と言われてきたけど自分はやってなくて、怪我をして初めてダウンの大事さに気がついた」と仰っていたが、怪我をしていない私にはいまいちピンときていなかった。
半年後、腰の慢性痛が悪化した。腰を痛めると出来る器具が本当に少ない。練習に行っても出来る事が少なく、動ける日には嬉しくていっぱいやってしまいまた痛くなるの繰り返しだった。そこで初めて、ダウンの重要性に気がついた。
ダウンの重要性を訴えるのは往々にして3,4年生である事が多い。なぜか?おじいちゃんおばあちゃんだからというだけではない。多くの人が怪我を経て普段の体のメンテナンスの重要性を認識しているからだ。しかし、この理論は一度怪我をしないと重要性に気がつけないシステムになっている。半分仕方ないとは思いつつも、やはり君たちには怪我をしてほしくない。怪我を経て学ぶほど悠長な時間は君たちには残されていないからだ。

怪我を経て私はこう考え、行動するようにしていた。アップダウンを入念に行い、体のメンテナンスをしっかり行うことで、自分は身体に気を遣っているという自信が持てる。そうすれば、仮に怪我をしたとしてもケアをした上で起こった怪我なので自信が損なわれる度合いが少なく、感情的な落ち込みを減らしてどうするべきかを冷静に考えることができる。
普段から身体のメンテナンスを行うということは、練習自体にも変化が生じる。練習前に決めていたメニューも、当日のコンディションに合わせて柔軟に変更するからそもそも怪我をする確率をかなり低く出来る。安全第一の練習というわけだ。

苦言を呈すようで老害だが、私たちの代が引退してからダウンをする人が本当に少なくなったと聞いている。それでもって試技会を棄権する人が多いことに相関を感じずにいられないのは私だけだろうか?

・怪我をしないに越したことはない
・体操は怪我をしやすい競技である
この二つの事実から導き出される結論を君たちが分からないわけがあるまい。身体のケアを行うことが楽しく体操を続けることに直結すると強く言いたい。ダウンをすることで怪我をしない状態が続くとダウンの重要性が見失われがちだが、失ってから気づくものなどいらない。毎練習の10分だけでいい、自分の身体を労ってあげてほしい。

次に、新しい技のハードルが高く、成長が停滞しているという原因について。
まず、これを楽しくないと思える人は己の向上心に自信を持っていい。少なくとも「上手くなりたい」と思っていないとこの手の感情は発現しない。現状維持の思考から逸脱できていることを認識し、自分を褒めよう。
その上で、幾分ドライなアドバイスになってしまうが、一旦冷静に技ができない原因を分析しよう。そもそもどうやって練習すれば良いのか分からないのか、挑戦するのが怖いのか、段階練習しているのに上達しないのか、なるべく構造的に探ろう。それが終わったら、技ができない原因を解決するには何が必要なのかを考えよう。

そうやって出来ない原因を考え、それを解決するためにどうすれば良いかを考えると、99%がピットか福田さんに帰着すると思う。
そこまで考えた上で解決するかどうかは君次第、もっというと君の体操にかける情熱次第だ。ピットのある練習場に行く時間や金がないということ、一人で行くのは怖いという理由、福田さんに声をかけるのが怖いという理由、色々考えられる。それらの理由と、技をやりたいという気持ちを天秤にかけて判断するべきだ。自分の気持ちに正直に向き合い、判断するのが良い。

②人間関係に悩む人
抽象的なまとめ方で申し訳ない。これ以上細分化する方が良くないと考えた。
あれこれ言う前に私の経験を語ろう。私が体操部人生において部活を辞めたいと思ったことは二度ある。

一度目は3年生で新歓係を務めた時だ。他の部員との新歓モチベの差に耐えきれなかった。新歓係として新入生と明るく接する自分と、他の部員がコミュ力を理由に自分の練習へ勤しむことへフラストレーションを感じる自分と、どちらが本当の自分か分からなくなった。同期のトラブルにも巻き込まれ、自分が他人に対して捧げられるキャパを超えていた。
自己犠牲は大抵尊ばれるものであるが、自分の感情を見失うほどの自己犠牲には耐えられないように身体と心が設計されているらしい。新入生にたくさん入ってもらいたいという気持ちも本当、試合シーズンだからたくさん練習したい気持ちも本当、今いる現役の環境を良くしたい気持ちも本当、全部本当の感情だが全てがそれぞれ両立し得なかった。どれを優先するべきかと言われ自分を優先できるような人間ではなかったが、心の奥底にいる自分は「俺に構って!」と叫んでいた。
新歓ミーティングと新歓コンパが終わったら辞めようと思った。やる気のある者が淘汰される環境にいたいと思わなかった。

二度目は3年生の冬、太一が辞めざるを得ない状況を作ってしまった時だ。自分が主将をやるべきではなかったと思った。自分が体操部における社会不適合者であることを悟った。人生で一番自己肯定感が下がった時期だった。他人に心から拒絶されることの地獄を味わった。嫌われることが怖くなった。
しかしそれと同時に、2年生の時から積み上げてきたものを否定されることに耐えられない自分もいた。自己承認欲求と自己否定の相反する感情に押しつぶされていた。

これら二度の辞めたいを乗り越えられたのはあたたかい人に囲まれたからだと思う。相談に乗ってくれる先輩が同じような苦労を経験していたことを知り、心の中の結石が小さくなるような感覚がした。楽しそうに体操をする後輩の姿が、この環境を守らなければという責任感を高めた。私には見えないところで静かに支えてくれる同期の存在も、部活への熱い気持ちを燃やし続けてくれた。

これらの経験から言いたいのは、「人に頼れ」といった紋切り型の助言ではない。「自分をちゃんと知る」ことだ。他人は変えられないとまでは言わないが、他人を変えるのは極めて難しい。しかし、人間関係は他人なしでは成立しない。だからこそ、自分は他人のどのような行動に違和感を覚えるのか、どうして覚えるのか、逆にどんな行動が好きなのか、それはなぜ好きなのかなどをなるべく詳細に分析することで、自分で自分を知るべきだ。

私は人に認めてもらったり、人にとって不可欠な存在になることが好きなので、周りに優しい人がいてくれたことが辛い時の心の拠り所となった。また、音楽が好きだったので憂鬱な時は音楽を聴き、カラオケに入り浸った。そのように、辛い状況に置かれた時に自分を癒す術をあらかじめ知っておくことは、絶望の淵に立つ自分を救ってくれる。だからこそ、自分の中で心から納得のいくまで自分を知り尽くすのだ。過去のトラウマも全てひっくるめて自分を丸裸にして、自分を知る。そして辛い時は、どうか自分だけは自分を認めてあげてほしいと願う。

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最後に

どれだけの人が読んでくれたか分からないが、あくまでこの文章も私の立場から作られた価値観・意見であることは心に留めてほしい。鵜呑みにせず、自分の中で素直に理解できることがあれば選択肢の一つとして頭に留めてくれればと思う。

この文章を世に出すことはかなり恥ずかしい。きっと5年後の自分が見たら消したくなるだろう。しかし、大学4年間をかけて東大体操部という終わりなき問いに向き合った経験は間違いなく私の人生に大きな影響を及ぼした。二度とない、貴重なものだった。きっと、今抱いているこの考えを血の通った自分の言葉で書くことに意味があるはずだ。

OBOGの皆様へ
飯田監督、OBOGの皆様、多大なご支援をいただき本当にありがとうございました。これからは私もOBOGとして現役をサポートして参りたいと思います。トレ体やクリスマス会でまた会える日を楽しみにしております。

東大体操部の成長を楽しみにしている!

数十年後の部員がこれを読んでも全くピンとこないことを願って
2023-24年度主将 大塚海智