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東大体操部部員日記

東大体操部の部員による日記です。

一片の春

JUGEMブログで開く
お久しぶりです、やっと4年になれそうな遠藤です。
同期が引退ブログを続々上げる中、まだいけるまだいけると先延ばしにしてここまできてしまいました。三つ子の魂百までとはよく言ったものです。引退ブログまでギリギリになる間に合わないとはお恥ずかしい限りです。平井ごめんよ…
ついでに卒業も先延ばしにしてしまいましたが、なんだかんだ来年度からはついに4年生になれそうです。
あれ、そういえばこの前、一個下のはずの駿太が「ついに4年生」ってタイトルのブログあげてたような

ブログのタイトルといえば、このブログのタイトル全然引退ブログっぽくないですよね。
というのも今まで僕が書いてきたブログのほとんどが、その書いた季節に関係するタイトルだったからです。
まあウィットに富んだタイトルを思いつかずに季節感系なら安牌だろっていう浅はかな考えで決めてたんですけど。
なので、初志貫徹!というつもりでこんな感じにしました。決していい感じのが思いつかなかったわけではありません。はい。

引退ブログとしてあるまじき始まり方をしてしまいましたが、昨年9月の七大戦で引退しました。主幹を行ってくださった東北大の皆様方、この場を借りて感謝いたします(激遅)、ありがとうございました。
また、この4年間本当に様々な人にお世話になりました。先輩や福田コーチ、同期、後輩、ゲスト・OBOGの方々、他大の方々、合宿・宿泊先の関係者の皆様など…挙げればきりがないです。色々な人に迷惑をかけながらここまでやってこれました。ありがとうございました。

ここまで書いて、この先どう書けばいいのか悩みました。色々書きたいけど、何から書いていいのかわからない。でもここに何か書き残せるのも最後だから悔いのないようにしたい。
そもそも引退ブログって何を書くべきなんだろう。
過去のブログを遡ってみると、人によって、過去の3年間を振り返ったり、関わった人への感謝を述べたり、これからの意気込みだったり、さまざまでした。
どうせなら、全部盛りで書きたいことを書けるだけ綴ってみようと思います。徒然なるままに。
結局いつもとおんなじ感じで取り留めなくなっちゃいそう、ごめんなさい。
まあでも、このブログばかりは、いつも僕の話のオチに厳しい海智も許してくれそうなので、存分に自分語りをさせてもらおうかな

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今年の1月、初めて母校の同期で同窓会がありました。卒業以来会う人なども多かったのですが、僕が体操部に所属していたという話をすると面白いようにみんな驚いていました。
思えば、入部当初、親や高校からの友達にその話をするとみんな狐につままれたような顔をしていました。
そのぐらい遠藤智史という人間は体操から縁遠い人間でした。

自分でもなぜ体操部に入ったかは分かりませんが、その選択が後悔に変わった日は一度としてありませんでした。
サーオリの日、上クラだったあやかさんにトレ体のトランポリン体験に誘ってもらえていなかったら、入部直後の怪我で僕が萎えてしまっていたら、コロナで部活がなくなった時に諦めていたら……多くのもしもを重ねた末に今の自分があると思うと感慨深いです(小並感)。

ただ、後悔したことはなくても辞めたいと思ったことは何度もありました。
入部から半年後に、床で倒立前転をした時に片方の足の踵でもう片方の足の甲を強打して即松葉杖生活になったり、1年の11月ぐらいに平行棒のスイング倒立が前に倒れてアームできずに高さ3mを踵落としして骨折したり。
もうなんかこのエピソードだけで体操向いてなさそう笑

1年生は足にまつわる怪我がとても多くて、そのせいで同期との差が開いていくことに焦りを感じていました。
もともと運動神経は悪かったのでただでさえ要領が悪いのに、足を使えないから筋トレしかできないことでどんどん置いて行かれて。
先輩たちはここで筋トレ頑張れば、技練できるようになった時に大きく成長できるよって励ましてくださいましたが、悲しいことに未来の希望に手を伸ばせるほど当時の僕には余裕というものがありませんでした。

正直に言うと、あと1回足にまつわる大きな怪我をしたら辞めようと思っていました。
ヤワな僕には、松葉杖で家と学校を往復する日々が、トレ体に行っても同期が切磋琢磨している横で筋トレしかできない自分が、どうしても耐え難かったのです。

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幸いにもそのあとはちょこちょこした怪我ばかりで大きな怪我に見舞われることはありませんでした。
ただ、怪我は無くなっても開いた差は残り、それは僕を蝕み続けました。そしてそれを克服するほどの技術も努力も僕にはありませんでした。
言い訳と言われて仕舞えばそうなんですが、小さい頃には確かにあったはずの負けん気が、いつのまにか現状に甘えてよしとする弱い心に変わってしまっていたのです。

そこで僕がとったのは、負けないように頑張るではなく自分が得意なものだけ伸ばすということでした。そうです。この瞬間、つり輪に2セット入る遠藤が誕生したわけです。

といっても、つり輪のことを最初から好きだったわけじゃなくて。多分他の種目に比べて1番上手くスイングができて先輩に褒めてもらったから好きになったんだと思います。ほんと都合のいいやつです。
勿論理由はそれだけじゃなくて(ほんとにこれだけじゃないです、はい、ほんとに)、しんごさんのジョナヤマの華麗さや、吊り輪の倒立のかっこよさに惹かれたのも大きいです。あと怪我しにくい種目だったのもあります、肩は死んだけど。

好きこそ物の上手なれとはよく言ったもので、同期の中でつり輪に関してはわりかし成長が早かった気がします。
1年の冬合宿の時は慎吾さん(当時2年生)や洸太さん(当時3年生)に唆されてやってみよう!と言われて、2回宙返りおりの導入とかしてました。
まさか自分が2回宙の挑戦の土台にすら立てるとも思ってもいなかったので、その縁にのせてくださったことにとても感謝しています。最終的には2回宙が引退までの目標になりました。

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体操って往々にして人に促されてやってみたら案外できたってことある気がします。
特に僕は自分を客観視できない上に、ビビリでネガティブだったので、技練から逃げていました。
ただでさえ体操大学初めの初心者は8技(昔は7技)揃えるのが大変なのに、自分はまだその技に挑戦するレベルに達していないって勝手に決めつけて、自分の成長を自分で妨げちゃってしまっていたのかなと思います。

例えば、僕は前宙の高さが低くてミニトラで前宙の高さを高くするっていうのをずっとやってました。
それ自体は悪いことではないと思うのですが、屈伸や伸身の前宙をするならもっと高さを出してからって意固地になって抱え込みで高さ出すのを目標にして繰り返していました。
それなら、高さ出す練習と同時並行で屈伸や伸身の導入やひねりにトライするとかやればよかったなと後悔しています。実際それらをちゃんと練習し始めたのは2年の終わりぐらいからだった気がします。

だからもしこれを読んでくれている(いるのか?)大学初めの初心者の子がいれば、(もちろん安全面とかには配慮して)どんどんいろんな技に挑戦してほしいです。やらぬ後悔よりやって後悔って言うしね。

まあ、今思えば、新しい技に挑戦してみっともなく失敗する自分から目を背けたかっただけかもしれません。その結果が3年後の無様な自分になったわけです。

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僕の大学2年生は自宅のパソコンの前で始まりました。
新型コロナにより部活は休みになり、授業は全てオンラインになって僕の引きこもり癖に拍車がかかりました。
その間、同期の樋口はしんぴあげてたり倒立めっちゃっとめれるようになっていたりしてすごいなあと思う反面、それに対抗心を燃やして俺も筋トレやるぜとはならず。
同期と差がついて焦っていてとかほざいていたのはどの口だったんでしょうか。今でもあの3ヶ月頑張っていたらなと悔やんでいます、後悔ばっかり。

コロナが落ち着いて部活が再開して、4年生の方々の引退式があって、後輩ができて。そんな感じで2年生はあっという間に過ぎていきました。
この一年、自分でも驚くぐらい無気力でした。その末路が留年とは、笑えないほんと。
東大では前期教養のAセメスターの成績は3月中旬に出るんですよね。
だいたい期末試験があるのが1月末とかなんで、ひと月ちょっと真綿で首をじわじわと締められるような生活が続きました。

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そんなわけで2回目の2年生が始まりました。
体操部の中では3年ということになり、いつの間にか後輩に後輩ができていました。
一個下の駿太と平井は経験者だったので、初心者の子が入ったら先輩ヅラして色々教えてあげたいなと思っていたのですが、なんと新しく入ってくれた子たちはみんな経験者でした。
初心者の子に吊り輪の素晴らしさを懇々と語る計画が頓挫したところで、4年生の引退式が8月末にありました。

1番長く間近でその背中を見続けていた先輩の引退を七大戦の会場ではなくて体育館で迎えることになってしまったのは、仕方のないこととはいえ悔しかったです。引退式当日、普段と変わらぬ様子で楽しんで練習したりアドバイスしあったりしている先輩方を見ると、本当に引退されるのかと信じられませんでした。
オフ明け、新主将の樋口が号令をかけるようになって初めて、先輩方の引退を実感しました。その辺りから自分に残された時間を自覚したように思います。

今思うと、この頃考えていたより1年という時間は短かったです。
10月くらいに初めて補助付きで吊り輪の2回宙をやりました。
よくダブルは思っている以上に回り続けなければならないと言いますが、初めは全然抱え込み続けられませんでした。
補助ありでも五体投地で生還するのがやっと。
それでも憧れだったダブルに自分が手をかけているというだけで楽しかった。
長らく大きな進捗のなかった体操生活に久々に光が差し込んできた気分でした。

また、1年の頃から目標にしていたヤマワキの前段階であるホンマの練習もし始めました。色々試行錯誤しながら少し近づいているようなそうでもないような。
ロン宙ができるようになったのもこの頃だったなあ。

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無事進級に必要な単位を取りきり、3年になりました。
ここから七大戦まで部のみんなに多大なる迷惑をかけました。本当にごめんなさい。こんな言葉で贖い切れるものでは到底ないです。そして僕の尻拭いをさせてしまった同期のみんなごめんなさい、そしてありがとう。さまざまな形で助けてもらいました。

体操の方は、吊り輪をやりたいのに今まで無茶したツケか肩の痛みがひどくなり始め、スイングするのすらままならないほど。
ホンマの習得は絶望的になり、ダブルも間に合うかどうか。
でも痛みをおして無理矢理やってできるほど、ダブルは自分にとって簡単でもありませんでした。
結局、痛みが楽になるまで極力吊り輪はやりませんでした。1ヶ月半ぐらいかな。
時々我慢できなくなって蹴上がりぐらいならええやろってやっちゃたけど。

その間に結構収穫もあって、今まであまりリソースを割いていなかったあん馬で急に旋回が回る兆しが見え始めて、最高2周ぐらいは回るようになりました。
今思うとできない嫌いで諦めていたことが多かったのかなと勿体無い気持ちです。

前期の授業が終わり、3年ぶりの夏合宿にて、狂ったようにダブルの練習をしました。もう必死でした。
その頃、補助なしでも土下座着地ができるぐらいにはなっていましたが着地がどうしてもわかりませんでした。というより着地がわかるほどの高さの余裕がなかったんです。
いろいろな方のアドバイスを聞いて試してみたけど、体は思ったように動いてくれない。自分の要領の悪さを憎みました。

ローテ練以外はほぼ吊り輪か鉄棒にいました。鉄棒は事故が多くてずっと逃げてた車輪が初めて回りました。
4年になってやっと車輪回せるようになった人初めてなんじゃないかな。
この種目だけはずっと好きになれませんでした。

・・・

あれやこれやという間に七大当日。僕らの引退試合は仙台にて行われました。
僕は個人の午後の演技班で、午前は女子のチムリをやっていたんですが、男子の演技が始まった瞬間思わず泣きそうでした。
1人の選手に浴びせられる大きな声援や会場の盛り上がり・熱気、3年前何気なく経験していたそれらが無性に懐かしくて。
まだ演技始まったばかりなのに涙ぐむ変なやつになってました。

そしていよいよ本番。

前日練で一切回らなかった車輪が本番でギリ回り。
当日できるやん!って思って演技に入れた後転倒立でラインオーバー。
なぜか本番だけ一発成功する縦旋おり。
立てなかったけど生還できたダブル。
ついぞ突きがわからなかった転回跳び。
班の4年のみんなでこれいけるんじゃねって直前に練習した平行棒の肩倒立。

吊り輪に関しては最終的に初めの目標のヤマワキはできなかったものの、ダブルを生還する程度のクオリティで実施はできたので、成仏はできた気がします。ダブル行く直前は立つイメージばっちりできてたんだけどなあ
あの時見てた人はみんなヒヤヒヤしてたと思います。心配かけてごめんなさい。
特に福田さん、本番で初めて通しの最後にダブルやるやつの補助をお任せしてしまってすみませんでした。めちゃくちゃ心強かったです、ありがとうございました!

終わってみれば散々な演技内容でした。でもあの時点での自分の最高に近いものは出せた気がしてます。
良くも悪くも集大成でした。

・・・

3年半を振り返って。
改めて、やっぱり後悔が多いなあ。
もっと基礎をしっかり固めとけばよかった、開脚を日々やるべきだった、十字もうちょい綺麗にしたかった…
どれも日々の意識で変えられていたはずのことなのに。
今になって、先輩方のおっしゃっていた『後悔だけはないように』という言葉が胸に刺さります。

後輩のみんなにも情けない姿を見せてしまいました。
自分が先輩になった時に、一つだけ決めていたことがあって、それは親しみやすい先輩になることでした。
後輩にとって親しみやすい、だけど試合とかでは格好良く決める、そんな先輩になりたかった。
ちなみにモデルは僕が1年の時4年生だった直さんです。
結局、先輩として何かみんなの役に立つどころか迷惑をかけてしまったり、心挙と一圭にフロアでの捌き教えときながら七大本番自分の捌き飛んだりと、格好良さのカケラもなかったです。
まあ親しみやすさはあったかな…?
自分で言うのもなんですが。
そうであったら嬉しいな。

体操においても先輩像においても、少しずつ学年を経るにつれ先輩たちの偉大さを痛感しました。
その立場になってからしかわからない苦悩が、責任がそこにはあって。
でもそれはその時の個人的な感情だったり裏方の仕事だったりだから表に出るようなものじゃなくて。
僕が下級生の頃当たり前として享受していたものが、そういった陰での努力によって支えられているということに、よりにもよって自分がその立場になって気づきました。お恥ずかしい限りです。
果たして自分は先輩方の残してくださったものを後輩たちに伝えられたのか。
そうあってほしいと願うばかりです。

・・・

ずっと自分の体操が嫌いでした。

もともとポジティブな性格ではなかったのもそうですが、同期や他大の同期のインスタのストーリーなど自分を卑下しようと思えばできる要素などいくらでもありました。
もちろん周りとの比較で落ち込むならするなという話なんですが、折れて砕け散ったはずのプライドが心の奥の奥で僕の心を、少しずつでも確かに傷つけていました。
そのうち、いつしか負け癖がついていました。努力したところで勝てない、うまくならない。そう言い聞かせて努力することから逃げました。目先のことしか考えられていませんでした。

他人と勝負する前に自分に負けいていたのです。
結局のところ、ひどく遠回りな自傷行為を行っていただけ。
そういう意味では、僕は吊り輪が好きだったんじゃなくて、もうそれに縋るしかなかったのかもしれません。

それでも。
引退まで体操を続けることができたのは、ひとえに僕と関わってくれた方たちのおかげに他なりません。

自分の練習もあるのにアドバイスや補助をしてくださった先輩方。
僕が技ができるたびにまるで自分のことのように喜んでくれたり、悩んでいるときはどこで悩んでいるか親身になって話を聞いてくれたり。
先輩たちが作ってくださった居心地のいい雰囲気のおかげで僕は腐らず体操を続けられました。ありがとうございました。

その頑張りが自分も頑張ろうと思える活力になった後輩たち。
みんなは経験者の子が多いこともあって入部してきてくれた時にはもう自分よりはるかにレベルの高い技をやってるってこともザラでした。
それでもより難度の高い技に向かってひたむきに挑戦し続ける君たちの頑張りにいつも勇気と根気をもらっていました。
また、吊り輪とかでアドバイス求めてもらえるととっても嬉しかったです。
僕がやめないで頑張ろうと思い続けられたのは君たちがいたからです。みんなありがとう!

絶対に生きて帰らせてくれた福田コーチ。
怖くてもトラウマでも福田さんが補助についてくだされば大丈夫というメンタルで挑戦することができました。
覚えの悪い僕に何回もアドバイスをくださり、本当にありがとうございました。
福田さんと熱海に遊びに行った時、普段の練習では見られない福田さんの一面が見れた気がして嬉しかったです。

練習に遊びにきてくださってアドバイスをたくさんいただけたOBOG・ゲストの方々。
体操って個々人にあったやり方があると思うので、詰まった時にどうすればいいのかっていう正解は一つじゃないと思います。
その点で多種多様な経験をされた方がアドバイスをくれるってかなり素敵なことだと思ってます。
運営面的に現役の人数が少ない時にセットのマンパワーになってくださって本当に助かりました。ありがとうございました。

そして同期のみんな。
まずは色々と迷惑をかけてその割に相談相手にもなれなくてごめんなさい。特に幹部代になってから本当に迷惑かけました。あの時見捨てず最後まで連れてきてくれたことに本当に感謝しています。ありがとう。
同期って友達とかとはちょっと違うものだと思っていてなんというか仲間みたいな。
その仲の良さ悪さに関係なく、同期って関係は同じ体操部にいる以上断ち切れないものだと思います。
特に僕らの代は3年から入ってきてくれた安福以外はみんな大学初めで技のレベルとかが似てるおかげもあって切磋琢磨しやすいし、アドバイスもお互いしやすくて。
同期の間で悩んでこれどうだろう、いやこうするほうがいいんじゃないって試行錯誤しているときは楽しかったです。
なんか気恥ずかしくなってきたな。
とりあえず伝えたいことは目一杯の感謝と謝罪です。ごめんなさい。そして今までありがとう。

ここにも書ききれないほどたくさんの方々に支えられてきました。両親や他大の同期などなど。
皆様のおかげで、体操を楽しんで続けることができました。精一杯の感謝を込めて、ありがとうございました!

・・・

4年間何か一つのことをやり続けると言うのは初めてでした。

それが体操であったこと、その選択は正しかったと心から思います。

散々ネガティブなことを書きましたが、体操は楽しかったです。

新しい技ができた時のあの喜び、誰かの成長と失敗を共に喜び悲しむことができる雰囲気、人の躰のみで表現する美しさ、その全てに魅了された4年間でした。

この彩りを僕に与えてくれた体操に、そして全ての方々に改めて感謝を。

そしてさまざまなものを与えてくれた東大体操部を、これからはOBとして陰ながら支えていけたらなと思います。

長々とした自分語りに付き合っていただきありがとうございました。

それでは。

東大体操部OB  遠藤智史