2022.09.14(水)14:44
引退ブログ_1
JUGEMブログで開くこの間の七大戦(2022/09/05~07)にて引退しました。4年の豊田です。
他の同期はおそらく素晴らしく立派な引退ブログを書くだろうと思い、後々に書くとハードルがあがっちゃうのでなんとか一番最初に投稿しようと急いで書いています。僕みたいなやつの引退ブログは前菜みたいな感じがちょうどいいのです。
知っての通り真面目な文章は書けないので、軽く読んでください。
色々なところで言っているので知っている方も多いと思いますが、僕が体操部に入ったのは2つの偶然が重なったからです。大学の帰り道に偶然中高同期と出会って体操部の体験会に連れて行かれたことと、僕に軽音サークルを見つけるサーチ能力がなかったことです。
当時の僕はテキトーにサークルを探して軽音サークルを見つけられず、あ、東大って軽音ないんだすげー、諦めよ、となってしまいました。今考えると軽音が無いわけないですよね。
ただ、連れて行かれた体操部の体験会は想像以上に楽しく、テレビ越しにしか見たことがないような技を間近で見て魅了されました。そのうち、新歓期にも週3で体操部に通うようになって技を習得する楽しさを知り、そのままあっさり入部しました。
しかし、僕は自分が思っていた以上に運動神経が悪く、大学はじめの同期たちがみるみる上手くなっていくのを一緒に喜びつつも、なんで俺はこんなに成長が遅いんだろう、と色々抱え込むことも多かったです。しかも僕は突出して得意な種目がなく、どの種目においても同期で「自分だけができる技」というのは存在しませんでした。大体僕ができる技は誰かができるのです。
やっぱり同期に大学初めが多いと比較しやすくてだめですね。ということで途中から他人と比較するのは意識してやめるようにしました。しかし当時1〜2年生の僕には楽しさを見出せることがだんだん少なくなっていき、ついにはコロナ禍で半年部停になってしまいました。まだどのようなトレーニングをすべきかわからないまま、とりあえず倒立バーを買って狭い自宅で必死に倒立をしていました。
転機が訪れたのは2年生の冬でした。初めて車輪が回るようになり、それまで苦痛でしかなかった鉄棒がめちゃくちゃ楽しいと思えるようになりました。それから逆車を回すまではかなり時間がかかりましたが、順車で回っているだけで楽しく、さらには一つ上の代が引退する最後の練習で車輪宙もできるようになり、結果この前の引退試合ではダブルまでできるようになりました(まだ着地できたことはないけど)。
他の種目については、あん馬は旋回全然回んないし、ゆか・跳馬はひねり病になっちゃうし、平行棒は下り何回も事故っては狂うし、最終的には慢性的に痛めてた肩が悪化してつり輪ぶら下がるのすらできなくなるし、本当に散々な感じでしたが、なんとか最後の七大戦では楽しく、涙あり笑いありで終えることができてよかったです。
さて、ここから体操競技とは別の視点、部活での立ち位置に関する話をします。
自分で言うのもなんですが、僕は生粋の後輩気質で1年生の時からずっと先輩に甘えていました。言葉遣いも含め非常に幼稚だったなと反省しています。体操部の先輩は本当にみなさん人として出来上がっていて、それぞれが理想の先輩像として見えていました。
2年生になって後輩が当時3人入ってきてくれて、俺が先輩、、、?と実感もわかないまま困惑していました。今になってあまり話しかけてあげられなかったことをものすごく反省しています。それまで僕にあった「理想の先輩像」に今度は自分がならなければならないと思うと、至極不可能なように思えて億劫になってしまいました。
その感情は引退する今でも引きずっていて、自分は後輩からどのように見えているのだろうか、俺が1年の時に感じた理想の先輩像に今の自分はなれているのだろうか、いやそんなわけはない、でも少しは近づけたのだろうか、無理して先輩感出してると思われてるのではないか、などと考えすぎてぐちゃぐちゃになっていました。
そんな僕に対しても体操部の後輩たちは積極的に関わってくれて、変に距離を置かずに近寄ってきてくれて、本当に感謝しかありません。自分が立場上しっかりしないといけないのに、結局後輩にも甘えてしまいました、ごめんなさい。
また同期にも散々甘えていました(これで全方面に対して甘えコンプリートですね)。周りからは同期の仲介役として豊田は頑張っていると言われますが、全然そんなことありません。自分は臆病なだけで、意見を出さずに一番楽な立場に甘えて仲介に回っていただけです。それよりはっきりした意見を出し合える同期の方が間違いなくよっぽど立派です。
そんなこんなで多方面に甘えまくっていた僕をどうかお許しください。この4年間、現役部員、福田コーチ、OBOGの皆様、ゲストの方々には多大なる迷惑をおかけして申し訳ありません。そして大変お世話になりました。この体操部という環境において、間違いなく皆様のおかげで豊田という人間が成長できました。ありがとうございました。
不覚にも大学院は駒場キャンパスになりましたので、まだまだこれからもお世話になると思います。よろしくお願いします。
心残りがあるとすれば、1年の時にみんなでワイワイ適当に決めた樋口のジャージのズボンの名前。効果発揮する前に引退しちゃったね。
それでは。
4年 豊田哲彰
他の同期はおそらく素晴らしく立派な引退ブログを書くだろうと思い、後々に書くとハードルがあがっちゃうのでなんとか一番最初に投稿しようと急いで書いています。僕みたいなやつの引退ブログは前菜みたいな感じがちょうどいいのです。
知っての通り真面目な文章は書けないので、軽く読んでください。
色々なところで言っているので知っている方も多いと思いますが、僕が体操部に入ったのは2つの偶然が重なったからです。大学の帰り道に偶然中高同期と出会って体操部の体験会に連れて行かれたことと、僕に軽音サークルを見つけるサーチ能力がなかったことです。
当時の僕はテキトーにサークルを探して軽音サークルを見つけられず、あ、東大って軽音ないんだすげー、諦めよ、となってしまいました。今考えると軽音が無いわけないですよね。
ただ、連れて行かれた体操部の体験会は想像以上に楽しく、テレビ越しにしか見たことがないような技を間近で見て魅了されました。そのうち、新歓期にも週3で体操部に通うようになって技を習得する楽しさを知り、そのままあっさり入部しました。
しかし、僕は自分が思っていた以上に運動神経が悪く、大学はじめの同期たちがみるみる上手くなっていくのを一緒に喜びつつも、なんで俺はこんなに成長が遅いんだろう、と色々抱え込むことも多かったです。しかも僕は突出して得意な種目がなく、どの種目においても同期で「自分だけができる技」というのは存在しませんでした。大体僕ができる技は誰かができるのです。
やっぱり同期に大学初めが多いと比較しやすくてだめですね。ということで途中から他人と比較するのは意識してやめるようにしました。しかし当時1〜2年生の僕には楽しさを見出せることがだんだん少なくなっていき、ついにはコロナ禍で半年部停になってしまいました。まだどのようなトレーニングをすべきかわからないまま、とりあえず倒立バーを買って狭い自宅で必死に倒立をしていました。
転機が訪れたのは2年生の冬でした。初めて車輪が回るようになり、それまで苦痛でしかなかった鉄棒がめちゃくちゃ楽しいと思えるようになりました。それから逆車を回すまではかなり時間がかかりましたが、順車で回っているだけで楽しく、さらには一つ上の代が引退する最後の練習で車輪宙もできるようになり、結果この前の引退試合ではダブルまでできるようになりました(まだ着地できたことはないけど)。
他の種目については、あん馬は旋回全然回んないし、ゆか・跳馬はひねり病になっちゃうし、平行棒は下り何回も事故っては狂うし、最終的には慢性的に痛めてた肩が悪化してつり輪ぶら下がるのすらできなくなるし、本当に散々な感じでしたが、なんとか最後の七大戦では楽しく、涙あり笑いありで終えることができてよかったです。
さて、ここから体操競技とは別の視点、部活での立ち位置に関する話をします。
自分で言うのもなんですが、僕は生粋の後輩気質で1年生の時からずっと先輩に甘えていました。言葉遣いも含め非常に幼稚だったなと反省しています。体操部の先輩は本当にみなさん人として出来上がっていて、それぞれが理想の先輩像として見えていました。
2年生になって後輩が当時3人入ってきてくれて、俺が先輩、、、?と実感もわかないまま困惑していました。今になってあまり話しかけてあげられなかったことをものすごく反省しています。それまで僕にあった「理想の先輩像」に今度は自分がならなければならないと思うと、至極不可能なように思えて億劫になってしまいました。
その感情は引退する今でも引きずっていて、自分は後輩からどのように見えているのだろうか、俺が1年の時に感じた理想の先輩像に今の自分はなれているのだろうか、いやそんなわけはない、でも少しは近づけたのだろうか、無理して先輩感出してると思われてるのではないか、などと考えすぎてぐちゃぐちゃになっていました。
そんな僕に対しても体操部の後輩たちは積極的に関わってくれて、変に距離を置かずに近寄ってきてくれて、本当に感謝しかありません。自分が立場上しっかりしないといけないのに、結局後輩にも甘えてしまいました、ごめんなさい。
また同期にも散々甘えていました(これで全方面に対して甘えコンプリートですね)。周りからは同期の仲介役として豊田は頑張っていると言われますが、全然そんなことありません。自分は臆病なだけで、意見を出さずに一番楽な立場に甘えて仲介に回っていただけです。それよりはっきりした意見を出し合える同期の方が間違いなくよっぽど立派です。
そんなこんなで多方面に甘えまくっていた僕をどうかお許しください。この4年間、現役部員、福田コーチ、OBOGの皆様、ゲストの方々には多大なる迷惑をおかけして申し訳ありません。そして大変お世話になりました。この体操部という環境において、間違いなく皆様のおかげで豊田という人間が成長できました。ありがとうございました。
不覚にも大学院は駒場キャンパスになりましたので、まだまだこれからもお世話になると思います。よろしくお願いします。
心残りがあるとすれば、1年の時にみんなでワイワイ適当に決めた樋口のジャージのズボンの名前。効果発揮する前に引退しちゃったね。
それでは。
4年 豊田哲彰