2022.03.29(火)12:40
開かれた場へ
JUGEMブログで開くこんにちは。そろそろ4年になる梶谷です。
大学に入ってから、既に「中学/高校に入ってから卒業するまでの時間」が過ぎ去ったと思うと目眩がします。昨日で、僕が初めて東大体操部の練習に参加してから3年です。体操部での現役生活も、残り半年を切りました。
国の首脳に任期の終了が近付いたとき、こんなニュースをよく耳にします。
聞くに「嫌な戦略だな」と思いますが、僕の幹部(代)としての任期も半年を切った今、正直に言って彼ら首脳の気持ちに共感する部分があるのも事実です。どうしても、「自分がこの体操部で何を得られたか/得られるか」だけでなく、「自分がこの体操部に何を残せたか/残せるか」という視点で考えてしまうんですよね。
そこで、残りのブログ執筆回数がカウントダウンに入った今回は、「幹部(代)としての自分の成果」をアピールすることにします。
……と思ってんですが、やっぱりやめます。具体的な取り組みについても一応簡単に書きますが、それよりも寧ろ、その背景にある自分の考え方についてしっかりまとめてみたいと思います。部のLINEグループ等では事あるごとに触れてきたことではあるのですが、なかなかまとめて伝える機会は少ないんですよね。
大して面白い話にもならないので、こういう理屈っぽいことが好きな人とか、日頃から部の運営について考えている他の部員とか、あとは僕のファンぐらいが読んでください(?)。
具体的に私が取り組んでいる/取り組んできたこととしては、こんな感じです。
①自分の仕事の情報を他の係の人と共有するシステムの推進
②自分の仕事の情報を(係を持たない)後輩と共有するシステムの推進
③幹部(代)による意思決定プロセスの見える化(意思決定の内容と背景の共有)
④意思決定への下級生の関与の推進
⑤下級生が部の運営に対して文句を言える空気感の醸成
⑥緊急時対応に関わる体制の見直し
こう書くと大層ですが、実際には中途半端なことしかできていない部分や、今後も継続的に努力していく必要がある部分も多く含まれています。
簡単にそれぞれの背景を説明すると、①は係の間の横の関係を密にすることで効率的に部の運営を行えるように、②は将来係を受け持つことになる下級生が心の準備をできるように&③④⑤を実現できるようにするためです。
⑥は文字通りのことで、ここ半年で重大インシデント的な出来事が重なったことを受けて必要性を痛感したものです(緊急時対応マニュアルの類を大幅に作り変え、その運用も変えました/変えます)。
そして今回特に書きたいのは、③④⑤の点です。これらは何れも、僕の考える「開かれた【場】としての幹部(代)」の実現のために行っていることです。
ちなみに、もしも体操部の事情に明るくない(そしてたいそう物好きな)方がこれを読んでいる場合のための補足ですが、幹部とは部の主将、主務、常務の3人を指し、幹部代とはその3人を含む最高学年(現3年生)を指します。一応の上下関係としては「主将 > 主務 > 常務> その他3年」となっていますが、基本的には幹部代全員で部を運営しています。ちなみに、私は常務の役に就いています。
さて、まず結論から述べると、私は幹部(代)とは部の意思決定機関ではないと考えています。では幹部(代)とは何かと言えば、❶「部の代表者」であり、❷「意思決定プロセスの進行役」であり、❸「意思の遂行責任者」です。
❶は、単に部の顔としての役割を果たす(行事の場で喋る、とか)というほどの意味ですから、特に説明するまでもないでしょう。
意思決定に関わるのは、❷と❸です。ここで、「意思決定の進行」と「意思の遂行」が「意思決定そのもの」と根本的に異なる(と僕が考えている)という点に注意してください。意思決定の「進行役」とは、会議で言うところの議長或いは司会役であり、意思決定そのものへの参与者とは、その会議の参加者全員です。即ち私は、部の意思を決める会議における参加者とは幹部(代)ではなく部員全員であり、幹部(代)はあくまで司会であるにすぎないと捉えているのです。
司会は、参加者に対して議題を提示し、質問を投げかけ、意見を整理します。
参加者は、常に議題に対して意見する権利を持ち、同時に自ら議題を持ち込むことができると考えましょう。
幹部(代)が議長として唯一有する特権は、どうしても意見が一つにまとまらない場合に限って自らの考えを他より優先することです(❶と絡むかも)。これが、僕の考える理想の部活運営です。
このような体制の実現は、上記の④「下級生の意思決定参加」さえ実現すればそのまま達成されるはずです。しかし、実務上は、このような部全体での話し合いや意見収集を全ての意思決定に際して行うのは非効率的でしょう。実際には、些末なことであれば幹部(代)が勝手に話し合って決めてしまうことが多々あります。
ただ、我々幹部(代)にとって些末なことが、部の全員にとって些末であるとは限りません。幹部(代)が十分な視野の広さを持たないままに勝手に決定したことが、下級生にとっては理不尽な判断に映ることもあるでしょう。そこで重要になるのが、③「意思決定の見える化」です。
仮に幹部(代)のみで決定したことであっても、その結果と背景を常に部全体に共有することができていれば、幹部(代)の予想しなかった意見や不満が下級生によって出されることがあるかもしれません。ここでは当然、⑤「下級生が文句を言える雰囲気」が重要です。
更に言えば、下級生による文句というのは「幹部(代)による具体的な意思決定に対する文句」のみを言っているのではありません。寧ろ自然発生的に生じた事象で、幹部(代)がそもそも問題として認知していない事柄についても、下級生が文句を言えることが重要なのです。
先日、体育館の大掃除の日程の提示が遅すぎるという指摘が下級生からありました。これには2つの要素があって、1つには、一度日程を決定したにも関わらず日が近付いてから変更のアナウンスをしたこと、もう1つには、直前になっても当日のタイムスケジュール(集合時間など)を伝えていなかったことです。指摘をしてくれた下級生の心情は「一度決めた日程を変えるなよ」そして「いつになったら当日の時間が分かるんだよ」というところだったでしょう。しかもこの心情は、偶然の会話によって私に吐露されることが無ければ、最後まで彼らの胸の内に負の感情として閉じ込められたままに終わっていた可能性がありました。
さて、この出来事を客観的に説明してみましょう。まず、1つ目の日程変更の点です。これは、幹部(代)内の担当者の動き始めが遅かったことが1つの要因でありましたが、同時に、他団体との体育館仕様の兼ね合いが主たる要因でした。
2つ目の点も同じく担当者の動きが遅かったことが問題だった、と言って終わるのは簡単ですが、それは適切とは言えません。即ち、個人の問題に加え、幹部(代)全員について「誰もが3年間の経験から「大掃除のイメージ」を持っていたので、わざわざアナウンスが無くても大して不安に感じなかったこと」、そして偶然にも「大掃除とバッティングすることで大きな問題になるような他の個人的な予定が誰も無かったこと」が重要なファクターでした。要するに、「大掃除の時間がいつであるか」を個人的に気にする人が幹部(代)に誰1人いなかったために、発表の遅れを幹部(代)内部で指摘することができなかったのです。
2点目の問題に対して更に、担当者以外の幹部(代)の気の回らなさが問題であると非難して片付けることは簡単です(実際、それは事実に他なりません)。しかしながら、我々幹部(代)も万能ではなく、また下級生と同じようにそれぞれ1人の学生として学業やアルバイトなど様々な他のタスクに追われながら幹部(代)としての役割に臨んでいます。それぞれの係に参照すべき引継ぎ資料があるとは言っても毎年の状況は様々であり、酷い怠慢はともかく少しの不注意からでも大きな問題が生じてしまう可能性も多分に存在します。結局のところ我々幹部(代)も、単にそれぞれがそれぞれの仕事をこなしているのではなく、互いに互いの不注意を日々指摘しあいながら成り立っているのです(これまでの代がどうであったかは分かりません。少なくとも、我々はそうです)。
誰かが気付かないことを他の誰かが指摘する、というこの運営のスタイルは、ぞんざいに言えば我々の「片手間」によって成立しているという大学運動部の性質を鑑みればある程度仕方のないことです。年によって行事の有無やその概要(今年のグループ予選がまさかの4月半ばの北海道である、とか)、部員の人数(今年の2年生が2人しかいない、とか)、部員の属性(大学院生が入ったとか、下級生のほとんどが経験者であるとか)など様々な条件が大きく変化する以上、マニュアル化にも限界があります。
長々と理屈をこねて結局何が言いたいかと言えば、やはり下級生の皆さんは不満をどんどん伝えてほしいということです。「日程を早く出せ」という類いの不満は、伝えるのに大した労力はかかりません。しかもその問題は、我々幹部が何らかの意思決定をした結果の産物ではありません(「日程出すのめんどいから直前にしようぜ」「了解」というコンセンサスがあったわけではありません)から、不満が生じているのをひとたび認識すれば、可及的速やかに対応できるはずです。
もし下級生が「日程遅ぇな」と思いながらもそれを口にせず、その結果として幹部(代)が(悪意無く)呆けているだけに終わってしまえばそれは非常に勿体ないことです。このようなことが続けば、下級生はひたすら不満と不信感を募らせ、そしてそれに起因する彼らの「態度の悪さ」が理解できずに幹部(代)は苛立つかもしれません。
この意味において、部の運営に関して積極積に指摘をしてほしいというのは、結局のところ「誰か一人でもその問題に気付く確率」を増やすため――言い換えれば「どうせ互いの抜けを指摘しあって進めるなら、人数が多いほうがいいよね」ということ――なのです。
なお、上記1点目の問題(日が近付いてからの日程変更)に関しては、仕方ない部分があった(からそこは怒らないでほしい)ことを幹部(代)から説明し、同時に担当者側に反省点があることも伝えました。下級生がどう感じたかは現時点では想像に過ぎませんが、何も言わなければ「しっかりしろよ」という単純な怒りに終わっていたものが、「そこは確かに仕方無いな」「そこは仕方無くないけど、反省はしてるのね」というより歩み寄った認識に変化したことを願います。
ここまで、部の意思決定が本来的には部員全員によって行われるべきであること、そしてそこには既存の意思決定プロセスへの参与だけでなく、ゼロから問題意識を提示するという側面が含まれていることを説明しました。上記の番号に照らせば、④「下級生の意思決定参与の推進」のために、③「運営の見える化」と⑤「文句の言える雰囲気作り」が鍵になる(③⑤+α→④)という議論です。
ここで本質的に重要になるのは、結局のところ⑤「文句を言える雰囲気」です。極端に考えると、これさえ完全に機能していれば、他の努力をせずとも(幹部(代)が誠実である限り)理想的な運営ができるのかもしれません。では、如何にしてこれを実現するかです。
そこで重要になるのは、逆に④と③であり(④③+α→⑤)、更にはこのブログそのものです。
これは、今の下級生に対してというよりは寧ろ同じ幹部(代)のメンバー、或いは将来幹部(代)になる下級生達の参考になればと思って言うことですが、ある意思決定に際して「意見はありますか」と聞くだけでは、真に「文句の言える雰囲気」を醸成することは困難であると考えます。常日頃から、「我々はあなたたち下級生の考えを気にしていますよ」という事実を発言によって、或いは行動によってアピールすることでこそ、いざというときに活発な意見が発せられ、また我々が直接的に意見を求めているのでないとき(例えば、大掃除の日程発表が遅いなと下級生だけが感じているとき)にも自然と指摘が上がってくるのではないでしょうか。
僕にとっては、③「運営の内部を日常的に開示すること」、そして④「下級生も意思決定に参与してもらおうと運動すること」、そしてこのような文章を公開することこそが、その「気にしてるよアピール」なのです。
そろそろ収拾がつかなくなってまいりました。結局のところ私が言いたいのは、
ということであり、同時に
ということです。別にSlackで堅苦しい意見表明をするのでなくても、練習の合間にポロっと言ってくれるのでいいのです。
皆さんにとって快適な部活環境を整備するには、当然ながら幹部(代)たる我々の努力も重要ですが、同時に皆さんの協力も必要なのです。敢えて(自分が実際に思っているよりも遥かに)強い言い方をするならば、【文句があっても言わなければ伝わらないし、伝える努力をしないなら文句を言う資格はない】のです。
そして、伝えたいと思ったときに文句を伝えられる環境をつくること、そしてその努力を無駄にせず文句に対して誠実に対応する作りこそが、我々の仕事です(そうですよね、幹部(代)の皆さん)。
あ、そう言えば「開かれた【場】としての幹部(代)」という表現の説明をしていませんでした。どうでしょう、ここまで読んでいただいた方にはこの意味が何となく伝わったりするんでしょうか。無理ですかね(だとしたら僕が悪い)。
「【場】としての幹部(代)」というのは、幹部(代)が意思決定において【頭脳】や強い【主体】ではなく、意思決定のための【場】でありたいという意味です。幹部(代)という懐、或いは幹部(代)という【部屋】の中で自由に議論でき、また自由に問題意識や意見を持ち込めることが理想です。
そして「開かれた」と添えているのはまさにその「自由」という点の明示であり、そしてこの【議論の場】がいつでも、どの部員でも、気軽に出入りできるものであるべきだという主張の反映です。
お高くとまって鶴の一声で方針を決定していく社長より、常に平社員と同じフロアに立って仕事と議論のしやすい雰囲気を作り上げる、「この空気感こそがあの社長そのものだ」と思えるような社長がいれば嬉しいですよね(知らんけど)。
ここまでお話ししたことを通して、少しでも私がこの表現に込めたニュアンスが伝われば幸いです。
さて、まとまりのないまとめをしたところで、今回はこの辺にしようと思います。正直、ここまでの議論は僕自身にとってもかなり粗いもので、普段書いているレポートのようにもっと構成と論理展開と表現を推敲したい気持ちはあるのですが、流石に疲れてきたので取り敢えず筆を置かせてください。
(ちなみにこのブログは7,000字を超えていて、僕が普段書くレポートと比べても長い方です。最近の弊ブログの超大作、1万字越えの平井の「どうしようもなく今を生きてる」に次ぐ長文になってしまいました。いやあいつ凄ぇな)
僕が部の運営に携わるなかで学んだことや考えたことも他にも色々あるのですが、それもまた機会があれば紹介できればと思います。
そうそう、この記事を読んで何かご感想やご意見をお持ちになった方は、是非ブログのコメントや口頭などでお伝えいただけると幸いです。レスポンスができるかは分かりませんが、考える材料にさせていただきます。
現役部員も、何か反応をくれると嬉しいですね。特に、それこそ平井辺りが何か応答してくれるんじゃないかと勝手に期待しています。
では、今回はこの辺で。
3年 梶谷 拓未
追記
先日は4年生の追いコンでした。4年生の皆さんは、単に学年が1つ違いであるというだけでなく、何よりそのお人柄のためにとても近しく感じていた代でした。引退の際のブログでも申し上げましたが、皆さんの下で1年間体操ができて本当に楽しかったです。こんなにも近くに感じていた皆さんが卒業される(卒業しない人もいますが)のはとても信じ難いのですが、それぞれまた次のステージ(或いは引き続きのステージ)で活躍されることを祈っています。ぜひ、また遊びに来てください。いつでも体育館でお待ちしています。
大学に入ってから、既に「中学/高校に入ってから卒業するまでの時間」が過ぎ去ったと思うと目眩がします。昨日で、僕が初めて東大体操部の練習に参加してから3年です。体操部での現役生活も、残り半年を切りました。
◆◆◆◆◆
国の首脳に任期の終了が近付いたとき、こんなニュースをよく耳にします。
「○○氏のこのような言動には、自身の成果をアピールする狙いがあると見られます」
聞くに「嫌な戦略だな」と思いますが、僕の幹部(代)としての任期も半年を切った今、正直に言って彼ら首脳の気持ちに共感する部分があるのも事実です。どうしても、「自分がこの体操部で何を得られたか/得られるか」だけでなく、「自分がこの体操部に何を残せたか/残せるか」という視点で考えてしまうんですよね。
そこで、残りのブログ執筆回数がカウントダウンに入った今回は、「幹部(代)としての自分の成果」をアピールすることにします。
……と思ってんですが、やっぱりやめます。具体的な取り組みについても一応簡単に書きますが、それよりも寧ろ、その背景にある自分の考え方についてしっかりまとめてみたいと思います。部のLINEグループ等では事あるごとに触れてきたことではあるのですが、なかなかまとめて伝える機会は少ないんですよね。
大して面白い話にもならないので、こういう理屈っぽいことが好きな人とか、日頃から部の運営について考えている他の部員とか、あとは僕のファンぐらいが読んでください(?)。
◆◆◆◆◆
具体的に私が取り組んでいる/取り組んできたこととしては、こんな感じです。
①自分の仕事の情報を他の係の人と共有するシステムの推進
②自分の仕事の情報を(係を持たない)後輩と共有するシステムの推進
③幹部(代)による意思決定プロセスの見える化(意思決定の内容と背景の共有)
④意思決定への下級生の関与の推進
⑤下級生が部の運営に対して文句を言える空気感の醸成
⑥緊急時対応に関わる体制の見直し
こう書くと大層ですが、実際には中途半端なことしかできていない部分や、今後も継続的に努力していく必要がある部分も多く含まれています。
簡単にそれぞれの背景を説明すると、①は係の間の横の関係を密にすることで効率的に部の運営を行えるように、②は将来係を受け持つことになる下級生が心の準備をできるように&③④⑤を実現できるようにするためです。
⑥は文字通りのことで、ここ半年で重大インシデント的な出来事が重なったことを受けて必要性を痛感したものです(緊急時対応マニュアルの類を大幅に作り変え、その運用も変えました/変えます)。
そして今回特に書きたいのは、③④⑤の点です。これらは何れも、僕の考える「開かれた【場】としての幹部(代)」の実現のために行っていることです。
ちなみに、もしも体操部の事情に明るくない(そしてたいそう物好きな)方がこれを読んでいる場合のための補足ですが、幹部とは部の主将、主務、常務の3人を指し、幹部代とはその3人を含む最高学年(現3年生)を指します。一応の上下関係としては「主将 > 主務 > 常務> その他3年」となっていますが、基本的には幹部代全員で部を運営しています。ちなみに、私は常務の役に就いています。
◆◆◆◆◆
さて、まず結論から述べると、私は幹部(代)とは部の意思決定機関ではないと考えています。では幹部(代)とは何かと言えば、❶「部の代表者」であり、❷「意思決定プロセスの進行役」であり、❸「意思の遂行責任者」です。
❶は、単に部の顔としての役割を果たす(行事の場で喋る、とか)というほどの意味ですから、特に説明するまでもないでしょう。
意思決定に関わるのは、❷と❸です。ここで、「意思決定の進行」と「意思の遂行」が「意思決定そのもの」と根本的に異なる(と僕が考えている)という点に注意してください。意思決定の「進行役」とは、会議で言うところの議長或いは司会役であり、意思決定そのものへの参与者とは、その会議の参加者全員です。即ち私は、部の意思を決める会議における参加者とは幹部(代)ではなく部員全員であり、幹部(代)はあくまで司会であるにすぎないと捉えているのです。
司会は、参加者に対して議題を提示し、質問を投げかけ、意見を整理します。
参加者は、常に議題に対して意見する権利を持ち、同時に自ら議題を持ち込むことができると考えましょう。
幹部(代)が議長として唯一有する特権は、どうしても意見が一つにまとまらない場合に限って自らの考えを他より優先することです(❶と絡むかも)。これが、僕の考える理想の部活運営です。
このような体制の実現は、上記の④「下級生の意思決定参加」さえ実現すればそのまま達成されるはずです。しかし、実務上は、このような部全体での話し合いや意見収集を全ての意思決定に際して行うのは非効率的でしょう。実際には、些末なことであれば幹部(代)が勝手に話し合って決めてしまうことが多々あります。
ただ、我々幹部(代)にとって些末なことが、部の全員にとって些末であるとは限りません。幹部(代)が十分な視野の広さを持たないままに勝手に決定したことが、下級生にとっては理不尽な判断に映ることもあるでしょう。そこで重要になるのが、③「意思決定の見える化」です。
仮に幹部(代)のみで決定したことであっても、その結果と背景を常に部全体に共有することができていれば、幹部(代)の予想しなかった意見や不満が下級生によって出されることがあるかもしれません。ここでは当然、⑤「下級生が文句を言える雰囲気」が重要です。
更に言えば、下級生による文句というのは「幹部(代)による具体的な意思決定に対する文句」のみを言っているのではありません。寧ろ自然発生的に生じた事象で、幹部(代)がそもそも問題として認知していない事柄についても、下級生が文句を言えることが重要なのです。
◆◆◆◆◆
先日、体育館の大掃除の日程の提示が遅すぎるという指摘が下級生からありました。これには2つの要素があって、1つには、一度日程を決定したにも関わらず日が近付いてから変更のアナウンスをしたこと、もう1つには、直前になっても当日のタイムスケジュール(集合時間など)を伝えていなかったことです。指摘をしてくれた下級生の心情は「一度決めた日程を変えるなよ」そして「いつになったら当日の時間が分かるんだよ」というところだったでしょう。しかもこの心情は、偶然の会話によって私に吐露されることが無ければ、最後まで彼らの胸の内に負の感情として閉じ込められたままに終わっていた可能性がありました。
さて、この出来事を客観的に説明してみましょう。まず、1つ目の日程変更の点です。これは、幹部(代)内の担当者の動き始めが遅かったことが1つの要因でありましたが、同時に、他団体との体育館仕様の兼ね合いが主たる要因でした。
2つ目の点も同じく担当者の動きが遅かったことが問題だった、と言って終わるのは簡単ですが、それは適切とは言えません。即ち、個人の問題に加え、幹部(代)全員について「誰もが3年間の経験から「大掃除のイメージ」を持っていたので、わざわざアナウンスが無くても大して不安に感じなかったこと」、そして偶然にも「大掃除とバッティングすることで大きな問題になるような他の個人的な予定が誰も無かったこと」が重要なファクターでした。要するに、「大掃除の時間がいつであるか」を個人的に気にする人が幹部(代)に誰1人いなかったために、発表の遅れを幹部(代)内部で指摘することができなかったのです。
2点目の問題に対して更に、担当者以外の幹部(代)の気の回らなさが問題であると非難して片付けることは簡単です(実際、それは事実に他なりません)。しかしながら、我々幹部(代)も万能ではなく、また下級生と同じようにそれぞれ1人の学生として学業やアルバイトなど様々な他のタスクに追われながら幹部(代)としての役割に臨んでいます。それぞれの係に参照すべき引継ぎ資料があるとは言っても毎年の状況は様々であり、酷い怠慢はともかく少しの不注意からでも大きな問題が生じてしまう可能性も多分に存在します。結局のところ我々幹部(代)も、単にそれぞれがそれぞれの仕事をこなしているのではなく、互いに互いの不注意を日々指摘しあいながら成り立っているのです(これまでの代がどうであったかは分かりません。少なくとも、我々はそうです)。
誰かが気付かないことを他の誰かが指摘する、というこの運営のスタイルは、ぞんざいに言えば我々の「片手間」によって成立しているという大学運動部の性質を鑑みればある程度仕方のないことです。年によって行事の有無やその概要(今年のグループ予選がまさかの4月半ばの北海道である、とか)、部員の人数(今年の2年生が2人しかいない、とか)、部員の属性(大学院生が入ったとか、下級生のほとんどが経験者であるとか)など様々な条件が大きく変化する以上、マニュアル化にも限界があります。
長々と理屈をこねて結局何が言いたいかと言えば、やはり下級生の皆さんは不満をどんどん伝えてほしいということです。「日程を早く出せ」という類いの不満は、伝えるのに大した労力はかかりません。しかもその問題は、我々幹部が何らかの意思決定をした結果の産物ではありません(「日程出すのめんどいから直前にしようぜ」「了解」というコンセンサスがあったわけではありません)から、不満が生じているのをひとたび認識すれば、可及的速やかに対応できるはずです。
もし下級生が「日程遅ぇな」と思いながらもそれを口にせず、その結果として幹部(代)が(悪意無く)呆けているだけに終わってしまえばそれは非常に勿体ないことです。このようなことが続けば、下級生はひたすら不満と不信感を募らせ、そしてそれに起因する彼らの「態度の悪さ」が理解できずに幹部(代)は苛立つかもしれません。
この意味において、部の運営に関して積極積に指摘をしてほしいというのは、結局のところ「誰か一人でもその問題に気付く確率」を増やすため――言い換えれば「どうせ互いの抜けを指摘しあって進めるなら、人数が多いほうがいいよね」ということ――なのです。
なお、上記1点目の問題(日が近付いてからの日程変更)に関しては、仕方ない部分があった(からそこは怒らないでほしい)ことを幹部(代)から説明し、同時に担当者側に反省点があることも伝えました。下級生がどう感じたかは現時点では想像に過ぎませんが、何も言わなければ「しっかりしろよ」という単純な怒りに終わっていたものが、「そこは確かに仕方無いな」「そこは仕方無くないけど、反省はしてるのね」というより歩み寄った認識に変化したことを願います。
◆◆◆◆◆
ここまで、部の意思決定が本来的には部員全員によって行われるべきであること、そしてそこには既存の意思決定プロセスへの参与だけでなく、ゼロから問題意識を提示するという側面が含まれていることを説明しました。上記の番号に照らせば、④「下級生の意思決定参与の推進」のために、③「運営の見える化」と⑤「文句の言える雰囲気作り」が鍵になる(③⑤+α→④)という議論です。
ここで本質的に重要になるのは、結局のところ⑤「文句を言える雰囲気」です。極端に考えると、これさえ完全に機能していれば、他の努力をせずとも(幹部(代)が誠実である限り)理想的な運営ができるのかもしれません。では、如何にしてこれを実現するかです。
そこで重要になるのは、逆に④と③であり(④③+α→⑤)、更にはこのブログそのものです。
これは、今の下級生に対してというよりは寧ろ同じ幹部(代)のメンバー、或いは将来幹部(代)になる下級生達の参考になればと思って言うことですが、ある意思決定に際して「意見はありますか」と聞くだけでは、真に「文句の言える雰囲気」を醸成することは困難であると考えます。常日頃から、「我々はあなたたち下級生の考えを気にしていますよ」という事実を発言によって、或いは行動によってアピールすることでこそ、いざというときに活発な意見が発せられ、また我々が直接的に意見を求めているのでないとき(例えば、大掃除の日程発表が遅いなと下級生だけが感じているとき)にも自然と指摘が上がってくるのではないでしょうか。
僕にとっては、③「運営の内部を日常的に開示すること」、そして④「下級生も意思決定に参与してもらおうと運動すること」、そしてこのような文章を公開することこそが、その「気にしてるよアピール」なのです。
◆◆◆◆◆
そろそろ収拾がつかなくなってまいりました。結局のところ私が言いたいのは、
僕は、下級生の皆さんの意見や考えを尊重してどんどん部の運営に取り入れたいと思っています
ということであり、同時に
我々が直接意見を求めているか否かに関わらず、思ったことは気軽にどんどん言ってほしい
ということです。別にSlackで堅苦しい意見表明をするのでなくても、練習の合間にポロっと言ってくれるのでいいのです。
皆さんにとって快適な部活環境を整備するには、当然ながら幹部(代)たる我々の努力も重要ですが、同時に皆さんの協力も必要なのです。敢えて(自分が実際に思っているよりも遥かに)強い言い方をするならば、【文句があっても言わなければ伝わらないし、伝える努力をしないなら文句を言う資格はない】のです。
そして、伝えたいと思ったときに文句を伝えられる環境をつくること、そしてその努力を無駄にせず文句に対して誠実に対応する作りこそが、我々の仕事です(そうですよね、幹部(代)の皆さん)。
◆◆◆◆◆
あ、そう言えば「開かれた【場】としての幹部(代)」という表現の説明をしていませんでした。どうでしょう、ここまで読んでいただいた方にはこの意味が何となく伝わったりするんでしょうか。無理ですかね(だとしたら僕が悪い)。
「【場】としての幹部(代)」というのは、幹部(代)が意思決定において【頭脳】や強い【主体】ではなく、意思決定のための【場】でありたいという意味です。幹部(代)という懐、或いは幹部(代)という【部屋】の中で自由に議論でき、また自由に問題意識や意見を持ち込めることが理想です。
そして「開かれた」と添えているのはまさにその「自由」という点の明示であり、そしてこの【議論の場】がいつでも、どの部員でも、気軽に出入りできるものであるべきだという主張の反映です。
お高くとまって鶴の一声で方針を決定していく社長より、常に平社員と同じフロアに立って仕事と議論のしやすい雰囲気を作り上げる、「この空気感こそがあの社長そのものだ」と思えるような社長がいれば嬉しいですよね(知らんけど)。
ここまでお話ししたことを通して、少しでも私がこの表現に込めたニュアンスが伝われば幸いです。
◆◆◆◆◆
さて、まとまりのないまとめをしたところで、今回はこの辺にしようと思います。正直、ここまでの議論は僕自身にとってもかなり粗いもので、普段書いているレポートのようにもっと構成と論理展開と表現を推敲したい気持ちはあるのですが、流石に疲れてきたので取り敢えず筆を置かせてください。
(ちなみにこのブログは7,000字を超えていて、僕が普段書くレポートと比べても長い方です。最近の弊ブログの超大作、1万字越えの平井の「どうしようもなく今を生きてる」に次ぐ長文になってしまいました。いやあいつ凄ぇな)
僕が部の運営に携わるなかで学んだことや考えたことも他にも色々あるのですが、それもまた機会があれば紹介できればと思います。
そうそう、この記事を読んで何かご感想やご意見をお持ちになった方は、是非ブログのコメントや口頭などでお伝えいただけると幸いです。レスポンスができるかは分かりませんが、考える材料にさせていただきます。
現役部員も、何か反応をくれると嬉しいですね。特に、それこそ平井辺りが何か応答してくれるんじゃないかと勝手に期待しています。
では、今回はこの辺で。
3年 梶谷 拓未
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
追記
先日は4年生の追いコンでした。4年生の皆さんは、単に学年が1つ違いであるというだけでなく、何よりそのお人柄のためにとても近しく感じていた代でした。引退の際のブログでも申し上げましたが、皆さんの下で1年間体操ができて本当に楽しかったです。こんなにも近くに感じていた皆さんが卒業される(卒業しない人もいますが)のはとても信じ難いのですが、それぞれまた次のステージ(或いは引き続きのステージ)で活躍されることを祈っています。ぜひ、また遊びに来てください。いつでも体育館でお待ちしています。