2020.11.16(月)23:59
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JUGEMブログで開く初めまして。理科2類1年の平井雄基です。部活では「ひらい」か「ゆうき」で呼ばれています。僕もみんなに倣って、自己紹介をしたいと思います。
出身は島根県にある出雲高校というところで、新入部員の中で唯一の地方出身です。方言はあまり出ていないみたいですが、同じ島根出身の福田コーチと時々似た話し方をすると先輩がおっしゃってました。
ここからは自分の体操歴について語っていきたいと思います。端的にいうと自分は小学生のときから体操をして、高校で辞めて、また大学で始めることにしたといったところです。自分の曖昧な記憶と以前親から聞いた話をもとに書いていくので年齢等が少し違うところがあるかもしれませんが、大体の流れは合っていると思います。
僕の体操を始めた理由はとても変わっていて経緯は幼稚園に通ってた頃まで遡ります。まず、僕が3歳くらいの時に僕の壊滅的な運動神経を見かねた親が僕を地元にある体育教室に通わせました。そこではマットと跳び箱、鉄棒をしていましたが縄跳びとかもしていたのを覚えています。なんとか小学校に上がる頃には鉄棒の逆上がりとかはできるようになっていたみたいです。
いきなり転機が僕の小学校入学時に訪れます。僕が小学生になってもこれまで通りに体育教室に通わせ続けようと両親は考えていましたが、小学生向けの教室は両親の仕事の都合上通うのが困難な時間帯にありました。そこで母が見つけたのが同じところで違う時間帯にしている「器械体操」教室でした。僕も母も器械体操が何かわかっておらず、体育教室と変わらないんじゃないかと思ってその「器械体操」教室に通うことになりました。最初教室を覗いた時目の前でバク転とか宙返りとかをしているのを見て、なんか今までとはだいぶ違うぞとは幼いながら感じてはいました(当時はバク転という言葉すら知りませんでした)が、なぜかその違和感を気にせずに通い始めることになったらしいです。当時練習は週1回とかだったと思います。そうして僕は体操の世界に少し足を踏み入れることになりました。
さらに転機が小3の終わり頃に訪れます。当時僕を教えてくれていた先生が僕たち生徒に、「新しく体操教室を開いてこの教室を辞めるんだ」ということを伝えてくれました。そのとき、先生や友達が好きで多くの友達が先生についていくみたいだったので結局、僕もその先生についていきました。練習回数は週4で2時間とかに増えていつしか体操少年になっていました。小学校の時は床、円馬、跳び箱(跳馬)、鉄棒をしていていろんな大会に出るようになっていろんな先生にもお世話になっていました。
中学は隣の街にある中学校に1時間くらいかけて通っていました。体操もそこに近いところにある体操教室に通うことになって、ほぼ毎日3時間の練習に励んでいました。そういうわけで平日は7時前に家を出て23時過ぎに帰るという生活になっていて、今考えるとよくやっていたなと思います。種目は床、鞍馬、跳馬、鉄棒に進化しました。
高校に入ると少し事情が変わってきます。高校は中学とは異なり、家からすぐのところに進学しました。高校には体操部がなく、中学の時に通っていた体操教室に通いつづけることにしました。放課後は時間の都合上難しく、土日だけ練習に行くという形になりました。しかしだんだんと模試や補講等で土日すらも練習に行くのが難しくなってしまい、約週1回という中学の時に比べるとかなり少ない練習回数になってしまいました。
自分が体操を辞めた理由は今振り返ると単純なものじゃなかったなと思います。まず、高校に入る直前に腰を疲労骨折して3ヶ月練習することができませんでした。その後練習に戻ったのですが腰だけじゃなくてほかにも痛いところがたくさん出てきて、思うような練習ができない日々が続きました。加えて、自分がそうしているうちに周りはみんな成長しており、劣等感を抱えていたのも事実です。高1の途中の時点で、体操に通っても上手くならないどころか下手になっている気がしていて、体操を始めた理由等も絡んでそもそも今まで本当に体操がしたいと感じたことがあるのだろうかと考えたり、3ヶ月の練習に行かない日々が頭の中で美化されて体操のない生活もありなのではと思った結果、体操を辞めることを決めてしまいました。
こうして体操から遠ざかり、高2高3になるとだんだんと体操のニュースとかも気にしなくなり、体操と関わらない日々を過ごし、体操をまたする時が来るとは微塵も考えていませんでした。
しかし大学受験を経て合格発表を確認した後、なぜかふと僕が辞める前に先生が言ってくれた「また遊びにおいでよ」という言葉を思い出しました。それでなんとなく練習を覗きに行ったら体を動かしたい衝動に駆られ、いつのまにか自分も練習の中に入っていました。そこでようやく自分が体操を楽しいと感じていることに気づきました。さらに、それまで大学で部活やサークルに入ることは全く考えていませんでしたが、その教室の先生から東大には体操部があって知り合いがコーチをしているという話を聞き、東大では体操部に入ろうかなということを考えるようになりました。
そこからTwitter経由で体操部のことを調べて、練習には8月末に参加できました。しゅんたとわかちゃんも書いてるように声援とか本当に雰囲気が良いなっていうのが一番の印象で、東大体操部の一員として頑張りたいと感じてすぐ入部を決めました。
こんな長い自語りになってしまうとは思っていませんでした。拙い文章を読んでくださりありがとうございます。先輩方の面白いブログを見習いたいです。(ブログが面白くて遡りながら読んでいるといつのまにか数年前でした。)
近況も少しは書きたかったのですがさすがに長くなりすぎるのでまた今度にします。
いろいろご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんがよろしくお願いします。
1年 平井雄基
出身は島根県にある出雲高校というところで、新入部員の中で唯一の地方出身です。方言はあまり出ていないみたいですが、同じ島根出身の福田コーチと時々似た話し方をすると先輩がおっしゃってました。
ここからは自分の体操歴について語っていきたいと思います。端的にいうと自分は小学生のときから体操をして、高校で辞めて、また大学で始めることにしたといったところです。自分の曖昧な記憶と以前親から聞いた話をもとに書いていくので年齢等が少し違うところがあるかもしれませんが、大体の流れは合っていると思います。
僕の体操を始めた理由はとても変わっていて経緯は幼稚園に通ってた頃まで遡ります。まず、僕が3歳くらいの時に僕の壊滅的な運動神経を見かねた親が僕を地元にある体育教室に通わせました。そこではマットと跳び箱、鉄棒をしていましたが縄跳びとかもしていたのを覚えています。なんとか小学校に上がる頃には鉄棒の逆上がりとかはできるようになっていたみたいです。
いきなり転機が僕の小学校入学時に訪れます。僕が小学生になってもこれまで通りに体育教室に通わせ続けようと両親は考えていましたが、小学生向けの教室は両親の仕事の都合上通うのが困難な時間帯にありました。そこで母が見つけたのが同じところで違う時間帯にしている「器械体操」教室でした。僕も母も器械体操が何かわかっておらず、体育教室と変わらないんじゃないかと思ってその「器械体操」教室に通うことになりました。最初教室を覗いた時目の前でバク転とか宙返りとかをしているのを見て、なんか今までとはだいぶ違うぞとは幼いながら感じてはいました(当時はバク転という言葉すら知りませんでした)が、なぜかその違和感を気にせずに通い始めることになったらしいです。当時練習は週1回とかだったと思います。そうして僕は体操の世界に少し足を踏み入れることになりました。
さらに転機が小3の終わり頃に訪れます。当時僕を教えてくれていた先生が僕たち生徒に、「新しく体操教室を開いてこの教室を辞めるんだ」ということを伝えてくれました。そのとき、先生や友達が好きで多くの友達が先生についていくみたいだったので結局、僕もその先生についていきました。練習回数は週4で2時間とかに増えていつしか体操少年になっていました。小学校の時は床、円馬、跳び箱(跳馬)、鉄棒をしていていろんな大会に出るようになっていろんな先生にもお世話になっていました。
中学は隣の街にある中学校に1時間くらいかけて通っていました。体操もそこに近いところにある体操教室に通うことになって、ほぼ毎日3時間の練習に励んでいました。そういうわけで平日は7時前に家を出て23時過ぎに帰るという生活になっていて、今考えるとよくやっていたなと思います。種目は床、鞍馬、跳馬、鉄棒に進化しました。
高校に入ると少し事情が変わってきます。高校は中学とは異なり、家からすぐのところに進学しました。高校には体操部がなく、中学の時に通っていた体操教室に通いつづけることにしました。放課後は時間の都合上難しく、土日だけ練習に行くという形になりました。しかしだんだんと模試や補講等で土日すらも練習に行くのが難しくなってしまい、約週1回という中学の時に比べるとかなり少ない練習回数になってしまいました。
自分が体操を辞めた理由は今振り返ると単純なものじゃなかったなと思います。まず、高校に入る直前に腰を疲労骨折して3ヶ月練習することができませんでした。その後練習に戻ったのですが腰だけじゃなくてほかにも痛いところがたくさん出てきて、思うような練習ができない日々が続きました。加えて、自分がそうしているうちに周りはみんな成長しており、劣等感を抱えていたのも事実です。高1の途中の時点で、体操に通っても上手くならないどころか下手になっている気がしていて、体操を始めた理由等も絡んでそもそも今まで本当に体操がしたいと感じたことがあるのだろうかと考えたり、3ヶ月の練習に行かない日々が頭の中で美化されて体操のない生活もありなのではと思った結果、体操を辞めることを決めてしまいました。
こうして体操から遠ざかり、高2高3になるとだんだんと体操のニュースとかも気にしなくなり、体操と関わらない日々を過ごし、体操をまたする時が来るとは微塵も考えていませんでした。
しかし大学受験を経て合格発表を確認した後、なぜかふと僕が辞める前に先生が言ってくれた「また遊びにおいでよ」という言葉を思い出しました。それでなんとなく練習を覗きに行ったら体を動かしたい衝動に駆られ、いつのまにか自分も練習の中に入っていました。そこでようやく自分が体操を楽しいと感じていることに気づきました。さらに、それまで大学で部活やサークルに入ることは全く考えていませんでしたが、その教室の先生から東大には体操部があって知り合いがコーチをしているという話を聞き、東大では体操部に入ろうかなということを考えるようになりました。
そこからTwitter経由で体操部のことを調べて、練習には8月末に参加できました。しゅんたとわかちゃんも書いてるように声援とか本当に雰囲気が良いなっていうのが一番の印象で、東大体操部の一員として頑張りたいと感じてすぐ入部を決めました。
こんな長い自語りになってしまうとは思っていませんでした。拙い文章を読んでくださりありがとうございます。先輩方の面白いブログを見習いたいです。(ブログが面白くて遡りながら読んでいるといつのまにか数年前でした。)
近況も少しは書きたかったのですがさすがに長くなりすぎるのでまた今度にします。
いろいろご迷惑をおかけすることもあるかもしれませんがよろしくお願いします。
1年 平井雄基