2019.10.29(火)23:42
比較体操論(比較するとは言ってない)
JUGEMブログで開くこんにちは。3年の藤波です。
早速ですが、体操をやっていると、嬉しいことがたくさんありますよね。
でも、それと同じくらいかそれ以上に落ち込むこともたくさんあります。
その大きな原因の一つが「比べる」ことではないかな、と最近気づきました。
今回は「比較体操論(比較するとは言ってない)」と題して、「比べる」ことについて考えていこうと思います。
体操というのはやっぱり特殊なスポーツで、直接的に誰かと戦うことがありません。だから色々な楽しみ方をすることができます。
とはいえ、やはり演技の点数を出されてそこで順位というものが曲がりなりにもつくわけで、どうしても序列のようなものは付きまといます。
どうしたって「比べる」ことからは逃れられないのです。
実際、比較することが役立つ場面は数多くあって、一概に「悪いこと」ということはできません。
物事の実態を掴むのに「比較」というのはとても手っ取り早いし、方法さえ間違えなければとても効果的です。だから学問でもよく利用されます。
法学部の授業にも比較法原論とか比較政治Iとか比較政治IIとか比較政治Ⅲとか、比較する授業が色々あります(別にⅠとかⅡとかⅢとかでカサ増ししているわけではありません)。
自分の実態を掴むだけではなく、ライバルを設定することでモチベーションが上がったり、目標が明確になったりして、良い効果を得られるタイプの人もいると思います。
ただ、○○大の△△ちゃんが簡単そうにやってるあれが全然できない、とか、後輩が自分より体を動かすのがうまい、とか、昔の自分は軽々やってたあの技が全然取り戻せない、とか、いちいちそういうことでくよくよして悲しくなってしまう私みたいな人間も一定数いるのではないかと思います。
必要以上の落ち込みを誘発する「比較」はどうしてもいらない気がします。
そこで、私は「比べる」ということに制限をつけることにしました。
まずは、他人と比べること。
1年の頃は特に、同期や先輩と比べては落ち込んでいました。
「藤波は響子と比べて空中感覚がなさすぎるからなぁ」と言われたことがものすごく悲しかったことをよく覚えています。
インスタやツイッターで見る他大の人たちがどんどん上達して、自分だけ下手になっているようで落ち込むこともしょっちゅうあります。
ここで制限①
「技に直接関係あること以外は比べない」
自分ができないことを他の人ができている、という状況でどこが違うのかを見極めることはとても大事です。
コマ送りで動画を比較して、体の使い方を比べることで見えてくることがたくさんあります。
でも、それ以外に、体操歴だとか前回の試合の結果だとか、なんかそういうことも込み込みで考えてしまうのは、正直無意味なことだと思います。
そんなこと言われなくても分かってる、という方もいるかもしれませんが、冷静に自分の心と向き合ってみると、意外といらないプライドに縛られていることがあるのではないでしょうか。
次に、過去と比べること。
意外とやりがちなのが、過去の自分と比べることです。
昔はできたのになぁとかよくあります。何年生の何月何日のこの技がうまかったとか言えちゃいます。私なんかよりもっと体操歴が長い人は、もっとそういうことがあるのかもしれません。
でも体重とか筋肉量とか練習頻度とか器具の具合とか、過去の状況と現在の状況は違うことの方が圧倒的に多いです。
昔できていたという事実が、今できるという結果に繋がるかは正直よくわかりません。
ここで制限②
「感覚を思い出せるところまでしか比べない」
基準としては、動画を見ながら、「動画を見ている自分の視点」と同時に「動画内で動いている自分の視点」を脳内で再生できるかどうか、ということにしています。
「動画を見ている自分の視点」しか持てない動画は、単純に楽しむためだけに見ます。この時はできたのに悔しいなぁとか、なんで今できないんだよとかネガティブなことは考えません。
「いやこの子うまいなぁ、あれ、自分じゃないか、テヘ」と楽しみます。
まあ何が言いたいかというと、今この瞬間の自分自身の体操のあり方をよく見つめるのが、理想の体操をするための近道なんだと思うんです。
必要以上に落ち込んだりするのは、心も時間ももったいないですよね。
以上、藤波の個人的な「比較体操論(比較するとは言ってない)」を展開してきました。
他に自分の向き合い方あるよ、っていう人いたら聞いてみたいです。
せっかく体操という、じっくり今の自分と向き合うことができるスポーツをやっているのだから、なるべくストレスの少ない向き合い方を各自で確立していけると素敵ですよね☆
なんか内容があるようでないようなブログになってしまいました。
中身があることを書くのって難しいですね。
寒くなってきましたが、お身体にお気をつけて。
それでは。
3年 藤波真由
早速ですが、体操をやっていると、嬉しいことがたくさんありますよね。
でも、それと同じくらいかそれ以上に落ち込むこともたくさんあります。
その大きな原因の一つが「比べる」ことではないかな、と最近気づきました。
今回は「比較体操論(比較するとは言ってない)」と題して、「比べる」ことについて考えていこうと思います。
体操というのはやっぱり特殊なスポーツで、直接的に誰かと戦うことがありません。だから色々な楽しみ方をすることができます。
とはいえ、やはり演技の点数を出されてそこで順位というものが曲がりなりにもつくわけで、どうしても序列のようなものは付きまといます。
どうしたって「比べる」ことからは逃れられないのです。
実際、比較することが役立つ場面は数多くあって、一概に「悪いこと」ということはできません。
物事の実態を掴むのに「比較」というのはとても手っ取り早いし、方法さえ間違えなければとても効果的です。だから学問でもよく利用されます。
法学部の授業にも比較法原論とか比較政治Iとか比較政治IIとか比較政治Ⅲとか、比較する授業が色々あります(別にⅠとかⅡとかⅢとかでカサ増ししているわけではありません)。
自分の実態を掴むだけではなく、ライバルを設定することでモチベーションが上がったり、目標が明確になったりして、良い効果を得られるタイプの人もいると思います。
ただ、○○大の△△ちゃんが簡単そうにやってるあれが全然できない、とか、後輩が自分より体を動かすのがうまい、とか、昔の自分は軽々やってたあの技が全然取り戻せない、とか、いちいちそういうことでくよくよして悲しくなってしまう私みたいな人間も一定数いるのではないかと思います。
必要以上の落ち込みを誘発する「比較」はどうしてもいらない気がします。
そこで、私は「比べる」ということに制限をつけることにしました。
まずは、他人と比べること。
1年の頃は特に、同期や先輩と比べては落ち込んでいました。
「藤波は響子と比べて空中感覚がなさすぎるからなぁ」と言われたことがものすごく悲しかったことをよく覚えています。
インスタやツイッターで見る他大の人たちがどんどん上達して、自分だけ下手になっているようで落ち込むこともしょっちゅうあります。
ここで制限①
「技に直接関係あること以外は比べない」
自分ができないことを他の人ができている、という状況でどこが違うのかを見極めることはとても大事です。
コマ送りで動画を比較して、体の使い方を比べることで見えてくることがたくさんあります。
でも、それ以外に、体操歴だとか前回の試合の結果だとか、なんかそういうことも込み込みで考えてしまうのは、正直無意味なことだと思います。
そんなこと言われなくても分かってる、という方もいるかもしれませんが、冷静に自分の心と向き合ってみると、意外といらないプライドに縛られていることがあるのではないでしょうか。
次に、過去と比べること。
意外とやりがちなのが、過去の自分と比べることです。
昔はできたのになぁとかよくあります。何年生の何月何日のこの技がうまかったとか言えちゃいます。私なんかよりもっと体操歴が長い人は、もっとそういうことがあるのかもしれません。
でも体重とか筋肉量とか練習頻度とか器具の具合とか、過去の状況と現在の状況は違うことの方が圧倒的に多いです。
昔できていたという事実が、今できるという結果に繋がるかは正直よくわかりません。
ここで制限②
「感覚を思い出せるところまでしか比べない」
基準としては、動画を見ながら、「動画を見ている自分の視点」と同時に「動画内で動いている自分の視点」を脳内で再生できるかどうか、ということにしています。
「動画を見ている自分の視点」しか持てない動画は、単純に楽しむためだけに見ます。この時はできたのに悔しいなぁとか、なんで今できないんだよとかネガティブなことは考えません。
「いやこの子うまいなぁ、あれ、自分じゃないか、テヘ」と楽しみます。
まあ何が言いたいかというと、今この瞬間の自分自身の体操のあり方をよく見つめるのが、理想の体操をするための近道なんだと思うんです。
必要以上に落ち込んだりするのは、心も時間ももったいないですよね。
以上、藤波の個人的な「比較体操論(比較するとは言ってない)」を展開してきました。
他に自分の向き合い方あるよ、っていう人いたら聞いてみたいです。
せっかく体操という、じっくり今の自分と向き合うことができるスポーツをやっているのだから、なるべくストレスの少ない向き合い方を各自で確立していけると素敵ですよね☆
なんか内容があるようでないようなブログになってしまいました。
中身があることを書くのって難しいですね。
寒くなってきましたが、お身体にお気をつけて。
それでは。
3年 藤波真由